幸田露伴『運命』と「小説」について

幸田露伴『運命』を読みました。いや、「読みました」と言い切って良いのか分かりませんが……。スタイルや筆者の意識が非常に興味深い本でした。その辺りについてちょっと以下に書いています。

 先日、必要があって幸田露伴『運命』を読んだ。「靖難の役」、明代の建文帝と永楽帝の交代劇を描いたこの作品は、格調高い漢文訓読調の文体に、逐一史料に当たったと思しき考証的な書きぶりで、一見すると「史実」に忠実な作品なのではないかと思わされるものがある。
 けれど最後まで読むと分かる通り、上記のような読者の直感は不思議な形で裏切られる。というのは、露伴はこの小説において建文帝生存伝説を採用しているからだ。この荒唐無稽にも思えるクライマックスに、読者はまた直感的に「なるほど、ここまで史実っぽさを重ねたのは、この虚構性に説得力を持たせるためだったのか」なんて思ってしまう。だが、その認識もまた間違っていることが「自跋」で明らかになる。確かに建文帝が生き延びたというのは伝説の一種なのだけれど、史書だって建文帝の生死を曖昧に濁しているのだ、と露伴は語る。

史と云はんや、史と云はんや、これ当時の小説を伝ふるのみ。若し夫れ史実の如きは、万季野これを知る。張廷玉奉勅修の明史の如きは、号びて正史といふと雖も、建文の紀に、宮中火起る、帝終る所を知らずと記し、又其末路を記して曖昧の言を為すこと多し。これ清の太史にして而して明の小説家の皁隷たるもののみ。吾嘗て曰く、虚言を束して来つて歴史有りと。

 露伴はこの小説で、むしろ「史実」という言葉の「実」とは何なのか、過去のできごとに関する事実と虚構の別はどのように判断するべきなのか、歴史と物語とはどのように重なり合い、どのように背き合うのか、そのことを読者に問いかけているかのようだ。
 私が今回書きたいのは、残念ながら露伴のこの問いへの直接の回答ではない。そうではなく、露伴がどのような意識でもってこのような問いと小説とを練り上げたのか、そのことについて書きたいのである。

 上記の引用で、露伴は「これ当時の小説を伝ふるのみ」と書いている。そして「小説」と「正史」とを対置させている。それゆえ現代人の私達は、これを「虚構」と「史実」の明治的な言い回しであると理解してしまう。だが実は、この「小説」と「正史」の対置には、現代日本語の用法から直感できる以上の長い歴史があるのだ。

 まず、中国における歴史叙述の系譜について簡単に説明したい。稲葉一郎氏は『中国の歴史思想――紀伝体考』において、中国の歴史叙述には、語り部による歴史説話に基づいた叙述の系譜と、史(書記官)によって叙述された年代記の系譜の二つがあることを述べている。⑵ 前者が文字に起こされるに当たって詩や散文形式の物語となったのに対し、後者は編年体の歴史書になった。稲葉氏によれば、『史記』に端を発する紀伝体の史書とは、この二つの系譜が合流するところに生まれたのだという。

 私は上記で「散文形式の物語」と書いた。ここで言う散文形式の物語とは『国語』や『説苑』といった説話集の類いだが、勿論これらの書物が「小説」――誤解を避ける言い方をするならば、中国古典小説の遠祖であることは言うまでもない。
 小説という言葉はnovelの訳語と介されがちだが、実はその著述者を示す「小説家」の語と共に、非常に古いルーツを持つ言葉である。初出は少なくとも『漢書』芸文志に遡る。

小說家者流、蓋出於稗官。街談巷語、道聽塗說者之所造也。
小説家の流派は、きっと稗官から出たのであろう。街中で語られる言葉や噂話を著述する者である。

 『漢書』芸文志で語られている「小説家者流」は、物語の制作者を意味しない。小説家は儒家や道家と同じく諸子百家の代表的な流派の内の一つであった。班固は(正確に言えば芸文志が全面的に依拠したらしい劉向・劉歆『七略』は)諸子百家それぞれの学術系統が周王朝の職官に淵源を持つという思想に基づいてこの小序を書いた。
 民間に流布する伝承や伝説に基づいて書かれた歴史書のことを「野史」と言ったりするが、これの別名を「稗史」と言う。正しく「稗官が収集・編纂した歴史」の意味である。「野史」「稗史」は当然、国家が編纂する「正史」の対義語でもあった。

 ここでもう一度、幸田露伴『運命』を思い起こそう。露伴は『運命』の自跋において「正史」と「小説」とを対置させている。小説とは稗官が収集し、編纂した巷の噂話であり、そこには当然、歴史説話も含まれていたであろう。それは史官が書き留めた記録に基づく――少なくともそのような一面のある――「正史」とは、全く違う内容であった筈だ。民衆の価値観に基づいた強い物語性と虚構性を有する語りには、権力者に対する素朴な反感、同情、義憤、共感といった念が織り込まれていたに違いない。それは直筆を旨とする史官の手になる「正史」とは、大きく異なる歴史の語り方である。

 露伴は『運命』の冒頭で「我が古小説家の雄を曲亭主人馬琴と為す」と書き、またその少し後で『女仙外史』について「真に是稗史の絶好資料たらずんばあらず」と述べている。彼の中で、曲亭馬琴の書くような文章作品は「小説」であり、『女仙外史』のような文章作品は「稗史」――要するに、どちらも同じものなのであった。現代人は言語や国家の別で地図にも文学にも線を引いてしまいがちで、前者は「戯作」、後者は「白話小説」などと呼ばれるけれど、幸田露伴にとっては曲亭馬琴『南総里見八犬伝』と呂熊『女仙外史』はどちらも同じもの、同じ形式の文芸なのだった。実際、中国古典小説の中には歴史的なできごとを主題としたり、書かれた時代よりも前の時代を舞台とした作品がいくらでもある。『三国志演義』、『隋唐演義』など書名に「演義」を冠する小説群はその好例だ。『平家物語』、『太平記』、『椿説弓張月』……日本の物語や戯作も同じであろう。それが前近代の中国、そしてその文化的影響を強く受けた前近代の日本における、「小説」「稗史」の輪郭であった。
思えば、小説家の流派は巷の噂話や物語を収集・編纂する職官にルーツを持つのだという『漢書』芸文志の説明は、歴史と物語の不即不離の関係を言い当てているように思う。歴史を「物語る」ことは、過去のできごとを単に「記録」することとは違う。否、記録する場合であっても、そこには記録者の価値観や言葉選びが介在する。歴史は必ず「語られる」。語りを経ない歴史などあり得ない。語られた歴史は当然ながら、語り手や聞き手(読み手)の感情を盛る器にもなる。歴史と物語、史書と小説とは、赤の他人になりようがない。

 さて、小説=稗史の認識は、何も明治時代になっても消え去った訳ではない。坪内逍遙は『小説神髄』において次のように述べている。

想ふに我が国にて小説の行はるる、此明治の聖代をもつて古今未曾有といふべきなり。徳川氏の末路に当りて馬琴、種彦等輩出してしきりに物語を作りしかば、小説盛んに行はれて都鄙の老若男女を選ばず、皆あらそふて稗史をひもどきめでくつがへりもてはやせしかど、なほ今日に比するときは及ばざること遠かるべし。

 この記述を見れば明らかである。小説とは物語であり、稗史である。そして更に西洋のnovelという新たな文芸に対して、逍遙は「小説」の訳語を当てた。つまりそれは、明治の「小説家」はnovelistたれという意味でもあり、同時に曲亭馬琴の系譜に連なる者でもあれ、という意味に他ならない。だが、小説=novelの結びつきは逍遙以来随分と模索され続けてきたのに対して、小説=稗史=中国古典小説に連なる文芸、という後者の結びつきを意識する近現代の日本語小説家は少なかった。

 幸田露伴は、その数少ない内の一人であると言えるだろう。彼は稗官に淵源を持つとされる「小説家」として、『運命』を書いた。稗官は――小説家は、無味乾燥な記録官ではない。街角で語られる歴史説話を収集し、巷間の人々が過去のできごとの何を是とし何を非としているか、何を称揚し何を抑貶しているかを聞く。虚構で飾り立てられた歴史を一概に「嘘」と断じるのではなく、飾りの意味を汲み、虚実皮膜の間に真実を見つける。恐らく露伴はそのような意識で歴史に臨み、『運命』を書いたのではないか。私はこの小説を読んで、そんな感想を持った。

 安藤宏は『日本近代小説史 新装版』において、坪内逍遙は戯作を好み、その改良を目して『小説神髄』を書いたと述べている。⑵ 彼がそのような戯作への――前近代的小説への愛着から「小説」をnovelの訳語に選んでくれたことに、私は感謝しなくてはなるまい。今日、現代日本語の小説を読む時、あるいは現代日本語で小説を書く時、私達は二つのルーツを持てているのだ、と思った。一つはnovelやnovelistというルーツ、もう一つは稗史、稗官というルーツである。後者を切り捨てることなく二つのルーツへ繋がる道を残してくれた、すなわちルーツを場面によって選択する「自由」を確保してくれた逍遙に、私は日本語で読み、書く者として感謝するのである。

 同時に、もし自分が力を振り絞って小説を書くことがあるのなら、いつか幸田露伴のような態度で「小説」を書くべきなのではないか、というようなことも考える。そんなことが私にできるのか分からないけれど。私達日本語話者には選択する「自由」があるのに、ここ150年、片方の道を選ぶ人ばかりだったと言えるだろうから。人が通わなければ道は下草に埋もれて見えなくなってしまう。近現代の小説家が敬遠する稗史の道を、書く側になって通ってみたいと私は思った。その道を歩くための材料、その道の先に見出したい景色のことを、まずは探すところから始めたい。

 

《引用・参考文献》
幸田露伴『運命・幽情記』所収「運命」自跋 1997年・講談社
⑵稲葉一郎『中国の歴史思想――紀伝体考』第一章第二節 1999年・創文社
⑶『漢書』芸文志諸子略 寒泉 最終閲覧日:2023.5.24
⑷坪内逍遙『小説神髄』緒言 日本文学電子図書館 最終閲覧日:2023.5.24
安藤宏『日本近代小説史 新装版』第一章第三節 2020年・中央公論新社

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