最期の言葉

 以前、このブログにこの記事と同タイトルの「最期の言葉」という記事を書きました。CLAMP『X』の16巻において、星史郎が発した最期の言葉とはどのようなものかを論じた記事です。

 前回の「『賭』の勝敗」の記事と同様、こちらも以前の記事は非常に舌足らずで分かりにくい書き方になっていました。 今回、論旨はそのままに全面改稿したものをここにアップします。
前回の「『賭』の勝敗」の記事を踏まえた内容になっていますので、そちらをお読みの上でこちらにも目を通して頂ければと思います。

 2024年夏頃には、この記事と前回の記事、それから他の文章をいくつか併せて、CLAMP作品批評同人誌として本の形にできたらと思っています。Blueskyやこちらでもアナウンスする予定ですので、ご興味のある方は是非に。

  0.はじめに

 前回の記事「『賭』の勝敗」では、星史郎が「賭」の勝敗について嘘をついていること、彼が昴流を「特別」だと思っていることを論じた。その際、私はある問題にだけ手を着けることなく論を進めた。それは星史郎の最期の言葉とはどのようなものか、という問いである。最期の言葉とは勿論『X』16巻で星史郎が昴流に告げる、あの空白のフキダシの中身のことだ。

 何故この問いに着手しなかったのか。それはこの問いだけが、作中の証拠に基づいて論証することのできないものであったからだ。

 証拠に基づく論証ができないとは一体どういう意味か、といぶかしむ方もいるかもしれない。その辺りを説明するためにもまずは皆さんに確認したい。貴方は例の最期の言葉をどのようなものだと考えているだろう?

 私の何となくの予想だが、あの空白のフキダシには「愛している」というような言葉が入るのだと考える人が多いのではないだろうか。かく言う私も、初めて『X』16巻を読んだ時は同じようなことを思った。

 では、確実にあのフキダシの中身が「愛している」であるという証拠はあるか? 例えば星史郎が昴流を「特別」だと思っている証拠は作中にあった。『X』16巻でふう(地の龍の神威)がきょうに語っているセリフや、同巻番外編で星史郎の母が言っていることは、分かりにくい形ではあるけれど証拠になり得た。では、星史郎の最期の言葉については?

 実を言うと、星史郎の最期の言葉の中身を具体的に特定するような証拠は、作中に存在しない。物語の展開や前後のセリフ、はたまた作中で頻繁に見られる表現から、「恐らくこのような言葉だろう」とか「少なくともこうした言葉ではないだろう」というようなことは言い得る。けれど、それはいわばいくつかの選択肢を消去するに足る証拠であって、多くの選択肢の中から一通りの答えを選び出せるような証拠ではないのだ。

 だから「星史郎の最期の言葉はどんなものか?」という問いに一つの答えを提示しようとするなら、ある程度の憶測や解釈が混じることになる。

 とはいえ、証拠不十分だからこの問題を論じない、というのではいかにも勿体ない。そう考えた私は、前回と稿を分ける形で、この最期の言葉に関する検証を書くことにしたのである。

 ここでは憶測を覚悟の上で、あの空白のフキダシに入る可能性のある言葉の中から、なるべく蓋然性の高いものを考える作業をしていきたい。あのフキダシに入るのは、前後のセリフと滑らかに接続する言葉、その後の昴流の認識と齟齬のない言葉、そして何より星史郎の独特の愛情に合致する言葉だ。それが一体どんなものであるのか、消去法的な証拠を確認しながら迫っていこうと思う。

      1.星史郎が最期の言葉を発した経緯

 まず星史郎はどのような経緯であの最期の言葉を口にしたのか、そのことを確認したい。少し長くなるが、『X』16巻の最初から物語の経過を追いかけてみよう。

 昴流はひのとに、次に狙われる結界がレインボーブリッジであることを告げられる。これは攻撃的な人格の丁が考えた罠でもあったのだが、昴流はそうと知らずに一人でレインボーブリッジへと向かう。そこで地の龍を待ちながら煙草を吸っていると、背後から星史郎が現われて昴流の煙草に手を添える。昴流が彼から距離を取ろうとすると、星史郎は血まみれの手で昴流の煙草を奪う。レインボーブリッジを血で穢した地の龍は星史郎なのだった。

 そこで昴流は天の龍の結界を張り、星史郎との戦いに移行する。二人は思うさま術をぶつけ合う。星史郎が昴流を桜の枝で拘束しようとすると、昴流はあの日から自分は桜に捕らわれたままだと述べる。星史郎は封真(地の龍の神威)から「彼の『本当の望み』は貴方が考えているものとは違いますよ」1と指摘されたことを述べ、更に昴流と次のようなやりとりを交わす。

(星史郎)「貴方の望みは僕を殺すことではないんですか?」
(昴流)「違います」
2

 その後星史郎は昴流の胸を手刀で突いて殺そうとする。それはすなわち、北都の最後の術を発動させるということであった。昴流は突然自らの手が星史郎の胸を貫通したことに驚愕する。星史郎は彼に北都の最後の術がどのようなものであったかを述べ、自分達はまるで過去の鏡像のようだと語る。昴流はその言葉に誘われるようにして自らの胸中を語り出す。昴流は一度は星史郎を殺そうと思い、彼の存在を自分の心の中から消そうと努力したという。しかしそれはできなかった。昴流は結局、自分が星史郎に石ころや小枝にも満たないちっぽけな存在だと思われていたとしても、それでも星史郎に殺されたいと願うようになったと語る。星史郎はその言葉を聞いて次のように述べる。

(星史郎)「…考えてみれば… 貴方に…誰かを殺すなんて覚悟は出来ませんでしたね… 貴方は…優しいから…」3

 その直後星史郎は何かを悟ったような、思い切ったような表情を浮かべると、続けて言う。

(星史郎)「…昴流君… 僕は… 君を……」4

 その後、星史郎は昴流に何ごとかを耳打ちする。けれどフキダシの中の言葉は読者には伏せられ、彼が何を語ったのかは明示されない。昴流はその言葉に瞑目して涙を流すと、事切れた星史郎に向かってこう返す。

(昴流)「…貴方は…いつも… 僕が予想した通りの言葉は… …くれないんですね」5

 これがレインボーブリッジで二人の身に起きたことのあらましだ。本章で明らかにしたいのは、この伏せられたフキダシの中の言葉である。

 さて、まず注目したいのは最期の言葉を言う直前の星史郎のセリフだ。彼は昴流の告白を聞いた後、「考えてみれば」と言う。この表現にはどのようなニュアンスが含まれているだろうか。「これまで考えたことがなかったけれど」とか「今までそうではないと思っていたが」というような意味合いがありはしないか。それもその筈で、この数ページ前で昴流に否定されるまで星史郎は、自分は昴流の殺意を育むことに成功している、少なくとも成功している可能性があると考えていたのである。

 また星史郎は「考えてみれば」以下の言葉を述べた後、二コマにわたり何かを悟るような、思い切るような、またあるいは何かを諦めるような独特の表情を浮かべる。そしてその後に最期の言葉を口にする。この表情にも、何か強いニュアンスが込められていそうだ。

 昴流の「殺されたいと思った」という言葉が彼に何らかのインパクトを与えた。そして彼は例えば気付きとか、意外さとか、驚きとか、そういった感情を覚えるに至った。その感情が滲んでいるのが「考えてみれば」という言葉だ。彼はその後何かを悟り、思い切り、諦め――その複雑な思いの先で、最期の言葉を口にするのだ。

 昴流の言葉に対して星史郎が抱いた一つ目の感情が、気付き、意外さ、驚きといった類いのものであったこと。その後表れた第二の感情が、悟り、思い切り、諦めの類いであったこと。まずはこの二点を押さえておきたい。

      2.最期の言葉を聞いた昴流の反応

 一方、星史郎の最期の言葉を聞いた昴流はどんな反応を示しただろうか。彼はレインボーブリッジを離れた後、天の龍の神威に対して次のように言っている。

(昴流)「…人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな 僕にはもう 分からない 聞くことも出来ないから」6

 星史郎にとって昴流の「殺されたいと思った」という言葉が意外だったように、昴流にとっても星史郎の最期の言葉は意外だった。しかし星史郎が何ごとかを悟り、思い切ったのと違い、昴流は星史郎の言葉に困惑や当惑といった感情を示す。「真実なのかな それとも嘘なのかな」という発言があるように、彼が星史郎の言葉の真偽を測りかねている。

 昴流が星史郎に抱く困惑はその後も続く。『X』17巻で封真が星史郎の最後の望みは「自分の左目を使って昴流の傷跡を消すこと」だと告げると、昴流は当惑の表情を浮かべて「…あの人は…」7と呟くし、星史郎の左目を受け継いだ18巻でも、地の龍の神威の「つくづく我儘な男だな あの男…桜塚星史郎は」8という言葉に対して怪訝な顔を見せている。

 「『賭』の勝敗」で述べた通り、昴流は星史郎から「特別」だと思われていることに気付いていない。彼の上記のような反応もそれに起因する。ただしここで注目したいのはそのことではなく、昴流の抱いた感情が「困惑」だという点だ。

 星史郎の最期の言葉は彼から困惑を引き出した。そして地の龍の神威が星史郎の内心に言及する度、その困惑は繰り返し表れる。地の龍の神威が星史郎の望みを伝えると、昴流は「…あの人は…」と言った。ここで昴流が言いさした言葉を想像で補うなら、例えば「あの人はどうしてそんなことを望んだのか?」とか、「あの人は何を考えて左目を遺していったのか?」などになるのではないだろうか。

 「真実なのかな、それとも嘘なのかな」という発言は、星史郎の最期の言葉の真偽を判断しかねているものだった。けれどこの「…あの人は…」と、その後に続くと想像される言葉は、真偽よりも更に根本的なものに対して疑念を向けている。「あの人はどうしてそんなこと(=左目を昴流に遺すこと)を望んだのか?」とはすなわち、星史郎の望みの意味や意図を測りかねている者の言葉だからだ。

 星史郎がどうして北都の術を発動させたのか、どうして自分に左目を遺していったのか、昴流はその意味や意図を17巻の時点でも理解していない。星史郎の最期の言葉は、それらを理解する手掛かりになるどころか、真偽不明の言葉としてますます昴流の困惑を深める材料になってしまっている。昴流の中で星史郎の最期の言葉は、北都の術の発動や左目という遺産と一体となって、一つの大きな謎を形成しているのだ。

 要するに、昴流は最期の言葉の背後にある星史郎の意志とか考えといったものを読み解けない状態にある。星史郎の最期の言葉は、昴流にとっては真偽も意味も意図も不明の、極めて謎めいた言葉だった。そのことを理解しておきたい。

      3.所有する情報量の差

 話は変わるが、昴流は一体星史郎のどのようなところが好きなのだろう、と疑問に思ったことはないだろうか。昴流が好きになった星史郎は、彼を守ってくれる優しくて穏やかな偽りの星史郎であって、本当の星史郎ではない筈だ。ならば何故昴流は、星史郎に裏切られた後も彼を好きなままでいるのか。『東京BABYLON』のラストで昴流は星史郎に裏切られ、その上姉を殺され、心身をずたずたにされた。それでもなお彼は星史郎への愛を捨てられない。それまで昴流が星史郎だと思っていた人格は、全て捏造された、偽りのものであったにも拘わらず。それは何故なのか?

 そう考えて『東京BABYLON』を読み返すと、案外昴流は、星史郎のかぶっていた仮面の奧にあるものをしっかりと見ていたのかもしれない、そう思わされる場面にいくつも出会う。例えば「VOL.1/BABEL」では東京タワーの大展望台に現われる加藤かずえの霊に対して、星史郎が次のように言う。

(かずえ)「あたしだけこんな目にあわなきゃならないの⁉」
(星史郎)「貴女も迷惑をかけたじゃないですか」
(かずえ)「⁉」
(星史郎)「貴女の死体を片付けなければならない人がいるのを知っていましたか? その日のご飯は喉を通らなかったでしょうね」
9

 「VOL.4/CRIME」では、娘を殺した犯人に復讐しようとして、呪術的な殺人を試みる女性が登場する。昴流は彼女の行いを止めようとして、娘さんの霊は復讐を望んでいない、と嘘をついてしまう。その判断はエゴに基づいた身勝手なものなのかもしれないと彼は思い悩む。そんな昴流に対して、彼はこんな言葉を投げかける。

(昴流)「僕は自分自身の自己満足のために あの人に本当のことを伝えなかっただけなのかもしれない…… 本当の『しあわせ』なんてその人にしか分からないことなのに」
(中略)
(星史郎)「たしかに人の『しあわせ』はその人にしかわかりません だからこそ昴流くんが嘘をついたことがその人にとって正しいかどうかも その奥さんにしか分かりませんよ」10

 「VOL.9/NEWS」で、星史郎は昴流を凶刃から庇い、その怪我が原因で右目を失う。昴流は星史郎の失明に強い衝撃を受け、やがて拒絶を覚悟で彼のところへ謝罪に向かう。すると星史郎は昴流に対してこう語る。

(星史郎)「人間はみんな『自分のため』だけにしか動けないんですよ 『その人のために何かしてあげたい』と言っても 結局『幸せになったその人を見て自分が幸せになりたい』と思っているに過ぎない 僕の行動もそれと同じです」11

 これらのセリフはどれも「昴流を好きな演技をしている星史郎」が発したものだ。しかしこのシニカルで突き放すようなトーンや、極めて自己完結的な考え方は、「VOL.11/END」で見せる星史郎の本性と確実に通じるものがある。昴流が好きになった星史郎というのは、正にこうした言動の持ち主としての彼ではなかったか。昴流は星史郎の中にある、乾いた冷たいものに触れて彼を好きになった。昴流が共に過ごした星史郎は偽りの仮面をかぶっていたけれど、それでも昴流はあちらで一つ、こちらで一つと、まるで貝拾いでもするようにして星史郎自身の欠片を集め、それらを心の中で繋ぎ合わせて彼を理解していたのではないか。そんな風に思う。

 むしろ昴流が拾い集められなかったものというのは、星史郎の人柄ではなく、星史郎に関する情報ではないだろうか。星史郎はどこで生まれ、どこで育ったのか。両親や家族はどのような人なのか。 幼年時代や学生時代はどのようであったか。獣医になったのは何故か。星史郎に関するそうした情報について、昴流は殆ど何も知らぬままに彼と時を共にした。

 そんな昴流と違って、星史郎は昴流に関する情報を実に良く調べ上げている。『東京BABYLON』最終巻の末尾に収められた番外編「ANNEX/SECRET」では、昴流の生年月日や出生地、何歳までどこで暮らしたかといったプロフィールについて、星史郎が正確に把握している様子が描かれているのだ。

 それなのに星史郎は、昴流の人格に関することになると驚くほど鈍感だ。昴流のことを「優しくて純粋で誠実」12だと言いながら、そういう人物ならばいくら憎しみを煽っても人を殺せないのではないか、という可能性には思い至らない。好きな人の何を理解し何を理解していないのか、そういうことについても二人は対照的だ。

 さて今述べてきたように昴流と星史郎との間には、所有している情報量という点で歴然とした差異がある。星史郎は昴流について様々な情報を持っているのに対して、昴流は星史郎の情報にうといのだ。星史郎の最期の言葉を考える上で、次はこの情報量の差に注目したい。

      4.情報差から見えてくるもの

 星史郎が昴流に関する情報を数多く有していたのに対し、昴流は星史郎について多くのことを知らないままであると私は述べた。

 では『X』16巻時点で昴流の持っていない情報とは具体的に何だろう。例えば昴流は、星史郎の生家がどこにあるかを17巻時点で知っていた。これは『東京BABYLON』「VOL.11/END」以降『X』17巻以前のどこかの段階で手に入れた情報だろう。彼は二作品の物語のはざまで、星史郎についての情報を集めたことがあるのだ。もしかしたら皇一門の情報網などを利用したのかもしれない。では、その情報収集によって彼が確実に得られなかった情報とは何だろうか。

 何故そんなことを考えるか。先ほど示した通り、17巻と18巻で昴流は、封真(地の龍の神威)が星史郎の内心について語った時に明確に当惑を見せている。封真は星史郎の本当の願いが「昴流に殺されたい」だったことを知っているが、昴流はそれを知らない。つまり地の龍の神威と昴流とでは持っている情報量に差があるのだ。

 この事実を16巻時点の星史郎と昴流にも当てはめて考えてみたいのである。レインボーブリッジで対峙した二人の間にも、持っている情報量に差がありはしなかったか。星史郎が最期に言ったのは、昴流にとって未知の情報に関連することだった。だからこそ昴流は彼の言葉の真偽を測りかね、その後も星史郎の内心を理解しかねている。そうは読めないだろうか。

 星史郎に関連することで、昴流が確実に持っていない情報。まず思いつくのは、『X』16巻の番外編の内容である。この作品の登場人物は星史郎とその母の二人だけだ。仮にコマの外に誰かがいたのだとしても、星史郎は物語の後で確実にその人を殺している13。つまりこの時に星史郎と母親が交わした言葉の内容は、まず間違いなく第三者に伝わっていない。先代桜塚護は「一番好き」な人に殺されたいと願う人間であったこと、その息子である星史郎も母と同じ望みを抱く人間であること。これらは昴流が知りようのない情報なのだ。

 もう一つ昴流が確実に知り得ない情報がある。作中で星史郎が誰にも言っておらず、けれど読者には明らかになっている、そういう類いの情報である。思い当たるものとして、「星史郎は実は『賭』に負けている」とか「星史郎は昴流を『特別』だと思っている」とかが挙げられる。作中の第三者では封真だけがこの望みを把握しているが、それは他者の望みを直感するという異能あってのことである。

 星史郎の愛情は昴流に伝わっているのではないか、仮に昴流がそれを「愛情」であると理解していなくても、例えば「自分は星史郎に執着されている」のような形で認識しているのではないか、と考える向きもあるかもしれない。だが『X』9巻で、心を閉ざしてしまった神威に対して昴流が次のように言っている。

(昴流)「その時泣いて初めて気が付いた 『この人にだけは嫌われたくない』って この人だけは『特別』なんだって けど… それは僕だけの『思い込み』でしかなかった」14

 この「僕だけの『思い込み』でしかなかった」という言い回しに注目したい。「僕だけの『思い込み』」という表現には、自分だけが一方的に彼を好いていた、向こうが自分を好いているというのはただの勘違いだった、という意識が窺える。昴流の認識の中では、星史郎は絶対に昴流を愛していないし、昴流にこだわってもいない。軽蔑したり邪魔だと思っていたりする可能性はあっても、彼が昴流に執着している可能性など微塵も感じていない。ましてや自分が星史郎にとって「特別」であるとは露ほども思っていないのである。

 「星史郎は『特別』だと思う相手に殺されたがる人間である」、「星史郎は昴流を『特別』だと思っている」。星史郎に関する情報で、昴流が確実に持っていないものというのは大きく言うとこの二つだろう。つまり星史郎は最期の言葉の中でこの二つの情報に関する何ごとかを述べ、そのせいで昴流は戸惑った、そんな可能性があるのではないだろうか。

      5.愛しているという言葉

 さて、これまでの論証の内容を一度整理してみよう。星史郎の最期の言葉は、以下の条件や可能性を備えた言葉であると私は述べた。

・昴流の「貴方に殺されたいと思った」15という発言が引き出した言葉である。
・昴流が真偽を判断できない言葉である。
・昴流にとっての未知の情報に関連した言葉である。ここにおける未知の情報とは「星史郎は『特別』だと思う相手に殺されたがる人間である」もしくは「星史郎は昴流を『特別』だと思っている」のどちらかである可能性が高い。
・「僕は… 君を……」16に繋がる言葉である。

 先ほど私は、星史郎の最期の言葉は「愛している」だと考えている人が多いのではないか、というようなことを述べた。こうして最期の言葉に関する条件を概観してみると、読者の直感はあなどれないとつくづく感じる。私を含め多くの読者が、あの言葉を愛情の吐露であると読んだ。作中にそれを証明する直接的な証拠がある訳ではない。読者の全員が全員、星史郎の嘘を見破っていた訳でもない。読者は飽くまで直感しただけ、もしくは「そうなら良いのに」と願っただけだ。それでも彼の最期の言葉の前後を調べ、フキダシの中身を想像するほどに、読者の直感が的を射ているという印象が強まる。というのも上記の三点目に挙げた通り、最期の言葉に含まれる未知の情報とは、多かれ少なかれ星史郎の愛情に関わるものであるからだ。

 しかしこの直感には問題もある。星史郎の愛情の表現が「愛している」という言葉だと断言して良いのかという点だ。私は過去の自分を含め、星史郎の最期の言葉は「愛している」ではないかと考える人々に言いたい。星史郎は自らの愛情について述べる時、本当に「愛している」という言葉を使う人物なのか、と。

 どういう意味か。例えば『東京BABYLON』で昴流が星史郎への愛情に気付いた時、彼の心中は次のように表現されている。

(昴流モノローグ)〈あの時星史郎さんの手術室の扉を叩きながら…… ずっと 『こわくて』泣いてたんだ…… 星史郎さんに嫌われるのがこわくて もう会えないのがこわくて……〉
(昴流)「僕は…… 星史郎さんが『好き』だったんだ……」
17

 昴流は自らの中の愛情について「好き」という言葉で表現している。ともすると辿たどたどしい言葉選びのようだが、実はこれは昴流に限った言葉づかいではない。北都も星史郎に対して次のように言っている。

 (北都)「もし昴流がまったくの他人を『特別』に『好き』になったら…… もしその誰かに裏切られたら…… 昴流きっと死ぬわ」18

 ここでも愛情を表す言葉は「好き」「特別」であって、「愛する」とか「愛している」ではない。星史郎の場合も同じで、例えば昴流に「賭」を持ちかけるシーンには「僕は『君』を『好き』になるよう『努力』してみますよ」とか「『君』を『特別』だと思えたら……」19とかの表現がある。彼も愛情について語る際、もっぱら「好き」と「特別」を使用していて、「愛する」という言葉を用いていない。『東京BABYLON』の作中で愛情が表現される時、それは必ず「好き」「特別」という言葉を取るのである。

 こうした『東京BABYLON』の独特の言葉づかいに比べると、『X』では「愛する」「愛している」という言葉が自然な形で登場している。使われる回数も多い。ただ、注意したいのは好意や愛情を示す他の語と比べて、「愛する」「愛している」が突出して多い訳ではないという点だ。飽くまで「好き」、「大好き」、「特別」、「大切」、「大事」などの表現と同様の意味、同様の頻度で用いられる語であって、『東京BABYLON』における「好き」や「特別」のように、作中の愛情表現を独占している言葉という訳ではない。

 その上昴流や星史郎、北都らの言葉づかいは、『X』作中においても『東京BABYLON』に準じている節がある。『X』9巻で昴流が星史郎のことを語る際、「僕はこの人が好きだった」20とか「この人だけは『特別』なんだって」21と述べている。回想の形ではあるが、星史郎に殺される際の北都も「昴流は…貴方を特別だと思ってる」22と語る。

 こうして『東京BABYLON』と『X』における愛情表現を調べてみると、「愛している」という言葉選びは何となく星史郎にそぐわないように感じられる。彼が昴流に直接的な言い回しで愛情を伝えたのだとしたら、それは「好き」とか「特別」とかの言葉になると考えた方が自然なのだ。

 けれど最期の言葉の直前に発せられたのは「僕は… 君を……」である。この言い方に繋がる形で「好き」や「特別」をはめ込むのは、文の接続からいって無理がある。一応、「好いている」は文の接続だけ見れば問題ない言い回しだが、この言葉は深い愛情を伝えるのに適した表現だとは言いがたい。

 星史郎が昴流に「愛している」と言ったと仮定した場合、他にも描写に違和感を覚える部分がある。17巻で封真(地の龍の神威)が星史郎の望み「自分の左目を使って昴流の傷跡を消すこと」を告げた時、昴流が困惑を示している点である。もし星史郎から「愛している」と言われていたなら、17巻でこのような困惑を示すだろうか。どちらかというと「最期の言葉は嘘ではなかったらしい」とか、「それなら『賭』の期日に自分を殺そうとしたのは何故なのか」とかのことを思っても良さそうである。けれど実際には昴流は困惑するだけであるし、その困惑も18巻まで継続している。

 要するに「愛している」という表現は、昴流の困惑を引き出すには余りに意味が明瞭な言葉なのだ。真偽を疑問視する可能性はあるにしても、昴流がその言葉の意味や意図を測りかね、困惑するような要素がそこにはない。

 以上のことから、星史郎が用いた言葉は恐らく「愛している」ではない。ただし、その言葉の中身が「愛している」と同様のことを表している可能性はある。見てきた内容から分かるのはそうしたことだ。

      6.言い換え再び

 ところでこの文章を読んでいる方々は、私が「『賭』の勝敗」の中で次のような言い換えをしたことを覚えているだろうか。

・「星史郎が昴流に殺されたい」というのは「星史郎は昴流を殺したくない」ということである。

 これは『X』16巻の封真の発言を、『東京BABYLON』「VOL.11/END」の星史郎の言葉に基づいて言い換えたものだ。二つの鉤括弧の中身は、どちらも星史郎の思う「特別」を説明したものになっている。星史郎にとって「特別」な人とは、この人に殺されたいと思う相手であり、同時に自分が殺したくないと思う相手のことでもあるのだ。この言い換えと、前節までに述べた諸条件から、星史郎の最期の言葉を具体的に想像してみたい。

 昴流は瀕死の星史郎に対して「貴方に殺されたいと思った」23と言った。星史郎は昴流の言葉を聞いて驚きもしたし、得心もした。「考えてみれば」24昴流は「誰よりも『他人』に優しくて誰よりも『自分』に厳しい…… まるで 『殉教者』」25のような人物だった。そんな人の憎しみをいくら煽ったところで、自分を殺してくれる筈もなかった。何故自分はそのことに気付かなかったのか、と星史郎は思った。同時に、昴流が自分に向けてくれる愛情と、自分が昴流へ向けている愛情が、全く同じ形をなしていることにも彼は気付いただろう。二人とも相手を愛するがゆえに、相手に殺されることを望んだ。

 そのことに気付いて彼は覚悟を決めた。あるいはここまで欺き、痛めつけ、苦しめてきた昴流に、本当の意味で負けたことを認めた。昴流が自らの願いを吐露したように、自分も最期に本当の望みを彼に告げよう。自分の抱えている思いが、昴流の抱いている感情と全く同じ形をしていることをここで示しておこう。星史郎はそう決心する。

 要するに、星史郎の最期の言葉は昴流の「貴方に殺されたいと思った」という発言への直接の返答なのだ。相手が「Aだと思いました」と言った時、聞き手は「そうですか、貴方はAだと思ったんですね。私はBだと思いましたよ」と返す。最期の言葉はそのような意味での「返答」である。

 昴流は「貴方に殺されたいと思った」と言った。そうである以上、答えにふさわしいのは「愛している」ではないだろう。それでは会話が噛み合っていない。昴流は自らの愛情について、「殺す」という言葉を用いて表現した。では、星史郎の愛情を「殺す」という言葉で表現したら?
 もう分かるだろう。星史郎が言ったのは、「僕は君を殺したくないと思った」ではないだろうか。

 どうだろう。これもまた一つの仮説に過ぎない。だが星史郎の最期の言葉が「殺したくない」とか「殺せない」であると考えると、様々な点で筋が通るのだ。

 例えばその直後のシーン。昴流はこの言葉を聞いて「僕が予想した通りの言葉は… …くれないんですね」26と呟く。彼が不可解に思うのは当たり前だ。『東京BABYLON』「VOL.11/END」で星史郎は「賭」に勝ったのは自分であり、だから自分は昴流を殺すのだと宣言している。『X』9巻でも、昴流は自らの愛情について「それは僕だけの『思い込み』でしかなかった」27と言っていた。この愛に星史郎からの返報なんてある筈がない。昴流は固くそう信じている。だから彼が「僕は… 君を……」に続く言葉として予想していたのは、むしろ軽蔑の言葉や、自分が星史郎にとって目障りであることを示す言葉だった筈だ。

 けれど軽蔑や敵視とはかけ離れた、しかも過去の宣言とは矛盾するような言葉を手渡されて、昴流は当惑する。「人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな」28という言葉が出るのはそのためだ。昴流は「賭」の期日の星史郎の言葉と、今際の際の言葉と、一体どちらが真実でどちらが嘘なのか測りかねてしまう。

 17巻で星史郎の望みに困惑するシーンもそうだ。昴流は星史郎の好意に気付いていない。最期の言葉は愛情を表現したものなのだが、昴流の耳に、「殺したくない」という言葉は額面通りの意味でしか響いていない。何故なら彼は情報を持っていないからだ。星史郎が「一番好き」な相手に殺されたがる人間であることも、桜塚護とは代々そのような人々が襲ってきた名であることも、彼には知るよしもない。だから「自分の左目を使って昴流の右目の傷跡を消す」という星史郎の望みを聞くと、昴流は戸惑う。星史郎が自分をどのように思っていたのか、何故彼が北都の術を発動させたのか、最期の言葉は何を思って発せられた言葉だったのか。それら全てが昴流には分からないのだ。

      7.二人でいれば寂しくない

 ここまで様々な作中情報を提示しながら、星史郎の最期の言葉は「殺したくない」とか「殺せない」であろう、ということを述べてきた。

 さももっともらしく論証をしてきたのだけれど、最期の言葉は上記のようなものではない可能性も充分に存在する。17巻、18巻の昴流の困惑の捉え方で、最期の言葉の内容に幅が出てくるからだ。例えば昴流は星史郎に愛情を告げられたけれど、それを受け止めきれなくて戸惑っているのだ、と読めないことはない。その場合、最期の言葉が「一番好きだと思っている」のような形であったと仮定すれば、前後の言葉とも齟齬がないし、一応の筋は通る。そうした別解とでも言うべき可能性はあちこちに残っているために、星史郎の最期の言葉について、「これが正解だ」と断言することが難しい。

 だから私がこの答えをベストのものであると考える理由を、最後に述べておこうと思う。

 意外に感じる人も多いかもしれないが、実は『東京BABYLON』において星史郎は、「寂しい」人物として描かれている。

(星史郎)「とても理不尽なことだけど『好き』という感情だけじゃどうしようもないことがこの『東京』にはたくさんあるんです どれほど強く想ってもどうすることもできない」
(中略)
(昴流)「じゃ……じゃあどうして人間は『好き』なんて感情を持つんですか なんの役にも立たないならどうして『好き』になったりするんですか」
(星史郎)「寂しいからですよ 『好き』という感情さえあれば『夢』が見られます 『夢』もなく生きてゆけるほど人間は強くないんです」
29

(少女の霊)「私のママも『寂しい』から私を殺したんだもの あのおばちゃんも『寂しかった』のかもしれないね 悪いことする人は みんな『寂しい』のかもしれないね」30

最初は『東京BABYLON』「VOL.1/BABEL」から、二つ目は同作最終話でもある「ANNEX/START」からの引用だ。一つ目は飽くまで昴流を愛するフリをしている星史郎の言葉だが、「好き」を巡るこの発言には何かしら星史郎の本音が滲んでいるように思える。

 ここで彼は「好き」という感情の無力を説いている。仮にこれが星史郎の心境を反映したものであるとしたら、彼は「好き」という感情に何も期待していない、「好き」を諦めた状態である、と言うことができるだろう。

 星史郎はかつて母親に「僕に好きな人なんて出来ませんよ」31と言い切ったことがあった。上記の諦めは、この時に母親に語った言葉と通じるものがある。それは愛情そのものへの諦めであり、彼自身が他者に愛情を抱けないことへの諦めでもある。そんな諦観の中には、「好き」を当たり前のものとして胸に抱き、「好き」の熱量を信じて生きている人々に対する孤絶感、寂しさが潜んではいないか。この世の多くの人と違って、自分は誰かや何かを「好き」になることができない。「好き」という感情を信じて生きていくことができない。そういう孤絶感、寂しさだ。

 だからこそ彼は「どうして人は『好き』という感情を持つのか」という問いに対して「寂しいから」と答える。他者を愛せない自己に孤独や寂しさを覚えているからこそ、星史郎は「誰かを『好き』になれればこの寂しさもなくなるのではないか」と微かに思っている。彼の「好き」への憧憬がこの答えを言わせているのだ。昴流とのこのやりとりは、そんな風に解釈することが可能である。

 その孤絶感が彼を「人間を殺しても何も感じない」32人にしたのなら、確かに「ANNEX/START」で少女の霊が言うことは的を射ている。星史郎は多くの人と違って「好き」が分からない。誰かを愛したことも、何かを好きになったこともない。「好き」が分からないのだとしたら、他者に共感したり、同情したりすることも困難になる。だからこそ彼は孤独で、寂しくて、平気で「悪いこと」(=人を殺したり傷付けたりすること)をしてしまう。「悪いこと」によって誰かが悲しんでも、その悲しみの背後にある愛情が彼には分からないからだ。

 星史郎はやがて昴流を庇って右目を失明し、そのことで自分の中にある「好き」という感情の輪郭を把握する。けれどそれでも彼は他者との断絶を抱えたままだった。何故なら彼の「好き」とは母親の予言通り、一番好きな人に殺されたいと願う、そういう類いの愛情だったからだ。彼がようやく抱いた「好き」は、この世の殆どの人と全く異なる形をしていた。

 ところで二つ目に引用した「ANNEX/START」の少女の霊は、「悪いこと」とは別の文脈で、昴流のこともまた「寂しい」人間であると述べている。

(少女の霊)「だって お兄ちゃん私たちと同じように『つらくて』『寂しい』気持ちが心の一番深い所にあるってわかったもの」
(中略)
(昴流)「……君がいる所に……僕の姉さんはいるのかな……」
(少女の霊)「どんな人?」
(昴流)「僕に『似た人』だよ」
(少女の霊)「いないわ…… ここにはお兄ちゃんみたいに『寂しい』目をした人は誰もいないわ」
33

 昴流はその後レインボーブリッジにおいて、自分の望みとは裏腹に星史郎をその手で殺すことになる。その時彼は、胸に秘めていた「星史郎に殺されたい」という願いを吐露した。その一言は図らずも、星史郎の感じる他者との断絶を飛び越える言葉だった。何故なら星史郎もまた、「『一番好き』な人に殺されたい」という願いを抱く人間だったからだ。昴流は星史郎にとって「一番好き」、「特別」な相手になっただけでなく、彼の共感可能な人間、いわば断絶を越えてこちら側へとやって来てくれた人間になった。

 星史郎は若かりし頃、桜塚護だった母親とこんな言葉を交わしている。

(星史郎)「僕が好きですか?」
(母)「好き 一番好きよ」
(星史郎)「僕も貴方が好きですよ母さん」
(母)「でも貴方の一番は私じゃないわ」
34

 この時、星史郎はどのような思いで「僕も貴方が好きですよ」と言ったのだろう。本当に母親が好きだったのだろうか? 私はそうは思わない。星史郎はその後「僕に好きな人なんて出来ませんよ」と言っているし、母親のことも全く躊躇せずに殺している。母親は星史郎にとって明らかに、殺しても「特に何も感じない」35相手である。

 ではこの「僕も貴方が好きですよ」は単なる嘘とか、社交辞令の類いなのだろうか? 私はそうも思わない。星史郎は「好き」という感情を理解できないなりに、母親のことが「好き」だった。それは愛情というよりも、一種の親しみとか、親近感のようなものではなかったかと私は思う。

 星史郎の母親もまた、人殺しに何の抵抗も覚えない人間だった。そしてまた、星史郎に出会うまでは「自分に好きな人なんてできない」と思っていた人間でもあった。星史郎にとって母親は恐らくたった一人同じ「寂しさ」を分かち合える者同士、言うなれば「寂しさ」に共感できる同族、同類だった。彼は同族への親しみから、あるいはその共感可能性から、母親を「好き」と言ったのではなかったか。

 だがその母親も死に、星史郎はいよいよ他者に対して断絶感を託つことになった。「好き」が分からない、「人殺しに何も感じない」。こうした孤独を分かち合える母親も既にこの世にいない。そういう中で彼が見出したのが、自分と「『正反対』の心を持っている」36昴流だった。

 彼は最終的に昴流を好きになりはしたが、それでも昴流に共感できる訳ではなかった。「二人一緒に『ペア』で幸せにならなければいけませんよ」37という言葉に心を揺さぶられる昴流は、この時はまだ星史郎の眼前にある深い溝を隔てた、対岸に立っている人間だった。

 そして昴流は星史郎の行いによって深く傷付き、絶望した。一度は北都の仇として星史郎を憎み、彼を殺そうと考える。だがやがて彼は、そんなことはできないという認識に達する。代わりに昴流の中に芽生えたのは、星史郎に殺されたいという願いだった。

 ここに至って昴流は断絶を越える。好きな人と共に生きてに幸せになる。それは多くの人が願う、余りに一般的で、余りに当たり前の願いである。昴流はその望みを捨て、今まで立っていた岸辺を離れた。大きく深い溝を越え、星史郎以外誰も立っていない場所へとやって来た。それは好きな人に殺されたい、そう願う人の立つ地平だった。

 星史郎が昴流に最期の言葉を告げたのは、昴流が「特別」な人だからというだけではない。昴流が「特別」であり「同族」でもあるから――昴流が星史郎にとって愛する人でもあると同時に、たった一人の共感可能な相手でもあるからだ。

 彼は死の間際に初めて一個の他者に出会った。道端の小石や踏んだ枯れ枝とは違う、自分と同じ喜怒哀楽を持った一人の尊重すべき他者。だから星史郎の最期の言葉は、彼なりの他者への敬意だった。

 私はそう思うから、星史郎の最期の言葉を「殺したくない」だと考える。星史郎は昴流を愛した。けれど愛するだけなら軽蔑しながらでもできる。彼は最後に昴流を軽蔑しなくなった。それは昴流が星史郎にとってようやく得た、たった一人の尊べる他者だったからだ。

 彼は昴流を殺せなくなった。昴流を愛しているからというだけではない。彼は死ぬ間際、昴流の気持ちが分かる、と思ったのだ。昴流の願い、昴流の悲しみ、昴流の愛情深さが彼には分かった。だから星史郎は、自らの心を昴流に打ち明けた。この人に自分の気持ちを分かって欲しい、と彼は初めて思ったのだ。彼はやっと寂しい人ではなくなった。そして自分一人が立っていた地平に、愛する人をたった一人置き去りにして死んだのだ。

脚注・参考文献

  1. CLAMP『X 第12巻』P.71・1999年・角川書店 ↩︎
  2. CLAMP『X 第16巻』P.57~P.59・2001年・角川書店 ↩︎
  3. 同P.83 ↩︎
  4. 同P.84~P.85 ↩︎
  5. 同P.88~P.89 ↩︎
  6. 同P.130 ↩︎
  7. CLAMP『X 第17巻』P.152・2001年・角川書店 ↩︎
  8. CLAMP『X 第18巻』P.119・2002年・角川書店 ↩︎
  9. CLAMP『東京BABYLON 1』「VOL.1/BABEL」P.89・2000年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  10. CLAMP『東京BABYLON 2』「VOL.4/CRIME」P.189・2000年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  11. CLAMP『東京BABYLON 4』「VOL.9/NEWS」P.138~P.139・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  12. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.110・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  13. 星史郎は『東京BABYLON』「VOL.11/END」P.114で、桜塚護はその立場を継ぐ時に先代もその関係者も皆殺しにするのだと語っている。 ↩︎
  14. CLAMP『X 第9巻』P.96~P.97・1997年・角川書店 ↩︎
  15. CLAMP『X 第16巻』P.81・2001年・角川書店 ↩︎
  16. 同P.84~P.85 ↩︎
  17. CLAMP『東京BABYLON』「VOL.10/PAIR」P.64~P.65・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  18. CLAMP『東京BABYLON 4』「VOL.8/REBIRTH」P.62~P.63・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  19. CLAMP『東京BABYLON』「VOL.11/END」P.111・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  20. CLAMP『X 第9巻』P.96・1997年・角川書店 ↩︎
  21. 同P.97 ↩︎
  22. CLAMP『X 第16巻』P.107・2001年・角川書店 ↩︎
  23. CLAMP『X 第16巻』P.81・2001年・角川書店 ↩︎
  24. 同P.83 ↩︎
  25. CLAMP『東京BABYLON 5』「ANNEX/SECRET」P.157・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  26. CLAMP『X 第16巻』P.89・2001年・角川書店 ↩︎
  27. CLAMP『X 第9巻』P.96~P.97・1997年・角川書店 ↩︎
  28. 同P.130 ↩︎
  29. CLAMP『東京BABYLON 1』「VOL.1/BABEL」P.97~P.98・2000年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  30. CLAMP『東京BABYLON 5』「ANNEX/START」P.213~P.214・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  31. CLAMP『X 第18巻』P.177・2001年・角川書店 ↩︎
  32. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.112・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  33. CLAMP『東京BABYLON 5』「ANNEX/START」P.216~P.217・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  34. CLAMP『X 16巻』P.175・2001年・角川書店 ↩︎
  35. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.115・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  36. 同P.110 ↩︎
  37. 同P.55 ↩︎

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