最期の言葉

星史郎の最後の言葉、空白の吹き出しにおいて彼は何を語ったか…についての考察です。
先に「賭けの勝敗」を読むことをおすすめします。

2022年2月4日 加筆修正しました。

2024年3月19日 全面改稿した記事を書きました。改稿後の方が長いですが分かりやすいと思います。

星史郎と昴流の人生を追い掛ける上で突き当たる大いなる謎の一つに、星史郎の最後の言葉がある。

「…考えてみれば…貴方に…誰かを殺すなんて覚悟は出来ませんでしたね…貴方は…優しいから… …昴流君…僕は…君を………『  』」

CLAMP『X』16巻

あの空白の吹き出しの中で、星史郎は昴流に何を告げたのか。多くの読者は直感的に「愛している」なのではないかと思ったりする訳だが、本当に「愛している」ならば昴流は「僕が予想した通りの言葉は……くれないんですね」と言うのだろうか、という疑念もよぎる。

さて、『東京BABYLON』の「賭け」については以前書いた通りなのだが、それを踏まえて『X』16巻での星史郎と昴流についてまずは整理してみたい。
星史郎は『東京BABYLON』のラストで、昴流に「賭けに勝ったのは星史郎だ」と思わせ、昴流の憎しみを掻き立てる事で昴流に自分を殺させようと目論んだ。北都の殺害も、この「昴流の憎しみを掻き立てる」為の行動の一つと言えるだろう。
一方、昴流は自分を殺しに来ない星史郎について「自分を軽蔑しているから殺しに来ない。目障りだと思ってもらえれば殺してもらえるのでは」と考える様になる。

レインボーブリッジで対峙した時、星史郎は昴流に、「貴方の望みは僕を殺すことではないんですか?」と問い、昴流は「違います」と答える。この返答から、星史郎は自らの目論見が外れた事を知る。目論見とはすなわち「昴流は姉を殺した自分を憎んでおり、憎しみから自分を殺そうとする筈だ」という予想の事である。
星史郎は保険として用意していた北都の呪いを発動させる事を決心し、実際発動させる。
呪いの発動後、昴流は星史郎に「貴方に殺されたいと思った」と告白する。

ここまでの出来事から、星史郎と昴流、お互いが有している情報の差を考えたい。
星史郎は昴流の「貴方に殺されたいと思った」という告白の時点で、
・賭けに敗北したのは星史郎自身である(星史郎は昴流を愛している)
・桜塚護は「一番好きな人」に殺されたいと願う人間であり、それが叶う時が次代桜塚護の継承の瞬間でもある
この二点の情報を持っている。そしてそれに加えて、昴流の本当の願い、すなわち「(愛する)星史郎に殺されたい」という情報も入手する。
一方で、昴流は星史郎の本当の願いも明瞭な形では理解出来ず、桜塚護の願いと死の法則についても知らない。

星史郎がこの情報の偏りがある状況で、しかも「…考えてみれば…貴方に…誰かを殺すなんて覚悟は出来ませんでしたね…貴方は…優しいから…」の後に続く形でどの様な言葉を発しただろうか。
まず昴流の驚きの表情から、星史郎にとっては既知だが昴流にとっては未知の情報が空白の吹き出しの中で開示されたのではないかと考えられる。
次に、それは何らかの形で昴流の予想していなかった言葉であった。何故なら「僕が予想した通りの言葉は……くれないんですね」と昴流が発言するからだ。

昴流にとって未知の情報というのは、先程挙げた二点だ。当たり前だが、「僕は…君を…」の後に続く形で桜塚護の話が出るとは到底考えられない(文章の接続に無理がある)ので、恐らく星史郎が開示したのは一点目「賭けに敗北したのは星史郎自身である(星史郎は昴流を愛している)」という内容であるだろう。
ここまで読んだ方、えっ、じゃあ「愛しています」って言ったの!?とざわざわする気持ちになるかと思いますが、ちょっと待った。まだ続きます。

星史郎は昴流に、今際の際で「愛している」と言ったのか。その事を考える為に、星史郎の死後の昴流の言葉と、地の龍の神威の言葉に注目したい。


「だから…強くなりたかったんだ せめて あの人にとって目障りな存在になれるように 『殺してもいい』と思えるものになれるように でも…それも僕の思い違いだった …人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな 僕にはもう 分からない 聞くことも出来ないから」

『X』16巻


「つくづく我儘な男だな あの男…桜塚星史郎は 分からないか そうだな 誰にも誰かの本当の願いは分からない」

『X』18巻

仮に星史郎が昴流に、直截に「愛している」と告げたと仮定した場合、一つ目の昴流の言葉とちぐはぐな印象を拭えない。つまり、ストレートに「愛している」と言われた後に「人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな」と疑念を拭えずにいるというのは奇妙な状況だと言わざるを得ない。
「愛している」という言葉は嘘なのではないか、と昴流が考える理由が昴流の側からは見付からないし、寧ろ「愛している」と言われたのなら、我が身に引き比べて「自分と同じように、星史郎も愛する人に殺されたいと思っていたのか」と気付く可能性が高くすらある。

また、18巻の地の龍の神威の発言からは、昴流が18巻に至ってもなお、星史郎の「本当の願い」を掴み切れずにいる事を示唆している(ページを開けてもらえれば明らかなのだが、「桜塚星史郎は」と「分からないか」の間に、昴流の怪訝な表情が見て取れる)。
もしも「愛している」と直截に告げられていたら、昴流は北都の最後の術の情報や自分自身の望みとの関連から、星史郎の望みを突き止めるだろう。だが、それを突き止められずにいる。

以上の二点から、昴流は星史郎に、ストレートな形で「愛している」と言われた訳ではないのではないかと考える。
ではあの空白の吹き出しで、星史郎は何を言ったのか。

空白の吹き出しの手前の言葉をもう一度確認したい。
「…考えてみれば…貴方に…誰かを殺すなんて覚悟は出来ませんでしたね…貴方は…優しいから…」
である。ここでは星史郎が、昴流の願いを誤解していた事、昴流の憎しみを掻き立て、星史郎を殺すように仕向けた、その作戦の失敗について語っている事になる。
そして同時に星史郎にとっては、「自分の愛は一方通行の愛だと思っていたが、そうではなかった。相手もまた自分と同じ形の、同じだけの愛を自分に向けてくれているのだ」という感慨を漏らした言葉でもあるのだ。
その様な気付きや感慨が、星史郎と昴流との対話の中では、殺す/殺されるという言葉によって語られる事に注意したい。愛情は、殺す/殺されるで表現されるのだ。

また、勘違いしがちだが『東京BABYLON』でも『X』でも、少なくとも星史郎と昴流の間では「愛している」という言葉は基本的に用いられない。「好き」は何度も登場するけれども、かといって「君を」に繋がる形で「好き」「一番好き」を持って来るのは無理があるだろう(「好いている」は語感として軽くなると思うのは私だけではない筈だ)。

だとすれば、星史郎の空白の吹き出し入る言葉の条件は以下の通りだ。
・殺す/殺される、またはそれに類する語
・「愛している」とそれなりに同義の語
・「愛している」と同義なのだと昴流に(すぐには)悟られない語
・昴流の予想とは何らかの形で異なる語
・昴流が本当か嘘か判断がつかない語

以上をクリアする言葉は、「殺せない」とか「殺したくない」ではないのだろうか。

えっ?と思った人の為に説明を続ける。
まず、昴流はその言葉の後に「僕が予想した通りの言葉は……くれないんですね」と語る。昴流の予想とは、すなわち「星史郎は自分を蔑んでいる」という意識に基づく予想だ。
「昴流は『殺してもいい』存在だ」と思ってもらう事、そしてその意識に基づいて殺してもらう事が昴流の願いなのだから、「予想した通り」とは一種の期待であって、「昴流君は目障りだから殺したいと思った」と言われるのが昴流の望みなのだ。
それを裏切る様な言葉「殺したくない」を告げられた為に、「予想した通りの言葉はくれないんですね」という反応になったのではないだろうか。

昴流も実は星史郎が自分を特別視していることに気付いていたのではないのか、という声があるかもしれない。私はこれについてはNOと言っておきたい。何故なら、昴流が神威に以下のように言っているからだ。

「僕を殺しそこなった時の あの人の目 あれは…… 蔑んでる目だった」

『X』16巻

自分を蔑んでいる相手が、自分に好意を寄せているとは思うまい。読者の目から見て、星史郎が明らかに昴流に執着しているように思えても、昴流本人の意識がそれを感知している訳ではないのだ。

さて、空白の吹き出しに入る言葉の説明を続けよう。「殺せない」「殺したくない」が当てはまると考える理由の二つ目だ。今度は星史郎が昴流に開示するだろう情報の観点から考えたい。
先程、星史郎が持っていて昴流が持っていない二点の情報について書いた。星史郎は賭けに負けた(昴流を愛している)、桜塚護は「一番好きな人」に殺される、この二点だ。
昴流の「貴方に殺されたいと思った」を聞いた時、星史郎は当然母親や自分の背負う業、桜塚護の業と継承に思いを馳せただろう。そしてまた、昴流が桜塚護を継ぐ前から桜塚護の業を背負う事になった事にも、思いを巡らしたに違いない。
だとするなら、星史郎はあの時こう言いたかった筈だ。「僕も、貴方と同じなのだ。貴方と同じように、一番好きな人に殺されたいと思っているのだ。私は桜塚護だし、貴方もこれから桜塚護になる人間だから」と。星史郎の思いを過不足なく伝えようとすると、実は「僕も君と同じだ」という様式にどうしてもなる。
だが、彼が口にしたのは「僕は…君を……」である。「を」の後に「同じ」は続けられない。
では、「僕は君を殺せない(or殺したくない)。何故なら君に殺されたかったから」ならばどうだろうか、と私は思うのだ。そして後半部分は切り取られた。それは星史郎が説明を拒んだからかもしれないし、力尽きたからなのかもしれないし、あるいはまた、前半一言で辛うじて通じるからなのかもしれない。
しかし昴流は当然ながら、星史郎とその母との間の会話を知らない。桜塚護が「一番好きな人」に殺されたいと願う生き物である事など、知る由もない。だからこそ昴流には疑念が残り続ける。「…人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな」と星史郎の真意を理解し切れない思いが蟠り続けるのである。

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