賭けの勝敗

星史郎の言っていた「賭け」に、本当は誰が勝ち、誰が負けたのか。または星史郎が何故『東京BABYLON』のラストで昴流を殺さなかったかについてです。

2022年2月4日 加筆修正しました。大筋は変わっていません。

2024年3月11日 全面改稿した記事を書きました。改稿後の方が長いですが分かりやすいと思います。

『東京BABYLON』と『X』を通読した人は、皆一度は思った事があるだろう。星史郎は一体いつ、昴流を好きになったのか?と。もしかして最初から好きなの?と。

この問題が一筋縄ではいかない原因は、星史郎の行った「賭け」にある。その内容は、星史郎が昴流と再会したら、一年間を共に過ごし、その間昴流を好きな人として振る舞う。その『努力』の間に、少しでも昴流を『特別』だと思えたならば昴流の勝ちで、この場合昴流を殺す事はしない。しかし『特別』と思えなかったら、昴流を殺すというものである。
『東京BABYLON』の最後、星史郎は賭けに勝ったと宣言する。しかし彼は昴流を見逃す。そして『X』16巻で、間接的に昴流を「特別」(=好き)だと思っていた事を明かすのである。
この、賭けに勝利したという発言と、昴流を愛していたという間接的告白の矛盾が解けない限り、「星史郎は昴流をいつ好きになったのか」という問いの解決の糸口は見えないのである。

さて、ではまず、星史郎の賭けに関する発言を追ってみよう。

「君と僕がまた会えたら 一年だけ一緒に過ごしましょう 君は僕と正反対の『心』を持っている……優しくて純粋で誠実で…… きっと君はそのまま大人になるでしょう その『綺麗』な『心』のまま だからもし君とまた出会えたら……僕は『君』を『好き』になるよう『努力』してみますよ 『一年間』だけ そして『一年』経って……『君』を『特別』だと思えたら……君の『勝ち』だから殺しません でもやっぱり『君』を『特別』だと思えなかったら…………この『死体』と区別できなかったら……その時は……君を 殺します だから今日は……見逃してあげますよ」

『東京BABYLON』VOL.11 END

「僕は昔から 『人間』と『物』の区別がつかないんです(中略)だからあの時僕は『賭』をしたんです 貴方と僕がもう一度会えたら…一年だけ貴方を『特別』だと思ってみよう 一年間貴方を『好き』だと言い続けて 『好き』になったらとるであろう態度をとり続けてみて 貴方だけをずっと見て…貴方だけを守って… もし少しでも本当に僕の中で貴方が『特別』になれば……『貴方』と『物』は違うんだと思えれば……貴方を殺さないでおこうと……でも……やはり無駄だったようです」

『東京BABYLON』VOL.11 END

上は初めて昴流と会った際の言葉、下は昴流に暴力を振るいながらの言葉だが、ここで注目したいのは、「『特別』になればあなたを殺さないでおこう」という点だ。昴流が賭けに勝てば、昴流は殺されない。この言葉を見た読者は無意識に「昴流を『好き』になれば、二人の関係はそのまま継続した筈だ」と思ってしまう。だが恐らくこれはそういう事ではないのだ。星史郎はただ「殺さない」とだけ言っている。

ここでもう一つ重要な情報がある。『X』16巻の巻末短編だ。若かりし頃の星史郎が、まさに桜塚護を継承する瞬間を描いた短編だが、その中に以下の様な台詞がある。

「これで貴方は 桜塚護になる そして 次の桜塚護は 貴方を殺した人ね」
「僕は誰に 殺されるんでしょうね」
「貴方が 一番好きな人よ」

『X』16巻

桜塚護の宿命、あるいは少なくとも星史郎とその母の宿命である「一番好きな人に殺される」を、星史郎が行った賭けに代入してみる。するとどうだ、星史郎の賭けの内容が明瞭になる。賭けの内容とは、「星史郎が勝てば(星史郎が昴流を特別だと思わなければ)、星史郎が昴流を殺す。昴流が勝てば(星史郎が昴流を特別だと思うようになれば)、昴流に星史郎を殺させる」というものなのである。
だから、賭けの最終期日である『東京BABYLON』VOL.11に於いて、既に星史郎の肚は決まって居る。彼はこの時点で既に、昴流を『特別』だと認識している、だから昴流に殺されたい。その為に嘘をついているのだ。「自分は賭けに勝った」と。そう言って昴流を殺す寸前まで痛めつける事で、昴流に憎まれる事が彼の望みだ。憎まれて、殺してやる、と思わせる事。そして本当に殺される事が。

では、『特別』だと認識したのいつ、どんなきっかけによってなのか。ここで『東京BABYLON』ANNEX/SECRETを思い出して欲しい。奈岐久美子にまつわる事件の外伝とも言うべき小品だが、これはVOL.11 ENDとANNEX/STARTの間にある。何故この位置に、この作品が?と引っ掛かりを覚えた人も居るだろう。一種の種明かし的な側面はあるものの、VOL.11の内容のおさらいに過ぎない節がある。
が、ここで注目したいのは、SECRETの星史郎が独白によって、つまり嘘をつく必要性の無い場で、「昴流は『特別』ではない」と発言している点である。この時点の星史郎は本当に、嘘ではなく「昴流は『特別』にはなりえない」と思っているのである。恐らくこの小品によって暴きたいのは、この点である。

奈岐久美子にまつわる事件以後、最終回以前で星史郎の認識を変化させ得た出来事、と言えば一つしかあるまい。右目を失った事だ。正確には、昴流を庇って右目を失った事だ。
右目を抉られた時、まず星史郎は「ニヤ」と笑った。見舞いに来た昴流には「人は『自分のため』だけにしか動けないのだ」と語る。事情聴取では「もうどうでもいいんです」と言い放つ。この「もうどうでもいい」はショックで意味深な発言だが、要は「もう(この命を長らえさせる事は)どうでもいい」という事だと解釈すれば筋は通る。
昴流を庇い、昴流の為に右目を失った時、星史郎が何を思ったか想像してみよう。痛みの中で彼がニヤ、と笑った時、彼は嬉しかったのではないのか。昴流の為に自分自身が失われてゆく事、損なわれてゆく事、自身の命が滅びに向かった事に喜びを見出したのではないのか。昴流を『特別』と断じたのは、その喜びがあってこそだろう。
「昴流の為に、自身の命が滅びてゆく事を喜ぶ」、「~の為に」が「~によって」と同義であるのは言うまでもない。右目を失って初めて彼は愛情を知ったし、それが自分にとって「損なわれる事」「殺される事」と深く結びついている事も知った。彼は終ぞ桜塚護の宿命からは逃げられなかったし、逃げる気もなかった。

余談だが、昴流が目を覚まさなくなってからの北都の行動は、こうした星史郎の思惑にとっては渡りに舟だった事だろう。北都の行いの目的は、恐らく二人が愛し合って幸せになる事であった。北都は、星史郎が昴流を愛して居る事は見抜いて居ただろう。しかし彼が愛する故に愛する人に殺されたいと思って居る事は見抜けなかった。だからこその牙暁の涙であり、『X』16巻なのである。

星史郎の唯一の誤算は、昴流も星史郎を愛した事だったし、昴流もまた星史郎に殺されたいと思った事だった。星史郎は、昴流が真っ当な、ごく普通の価値観の世界で生き続けると踏んでいた。昴流の善性がそれを予感させた部分もあるだろうし、何よりそちらの側に彼の姉がいた。だが昴流は、北都の「昴流に生きて欲しい」という願いさえも振り切り、結果的に北都の死を無駄死ににする事を覚悟して、星史郎の価値観の側へやって来た。昴流が星史郎に殺されたいと願うということは、すなわち自分の生を望む姉の否定、姉への裏切りでもあるのだ。
それを知って、最期に星史郎が何を思ったのか。それこそ、誰も与り知らぬ事だ。

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