「賭」の勝敗 

  以前、このブログに「賭けの勝敗」という記事を投稿しました。CLAMP『東京BABYLON』と『X』で語られる星史郎と昴流の物語について、一読して分かりにくい部分を説明した記事……の筈だったのですが、読み直してみると上述の記事自体が分かりにくく、説明の足りない文章になっていましたので、ここに全面的に改稿したものを投稿します。

 もしお手元に『東京BABYLON』や『X』があるようでしたら、軽くで構いませんので、是非一度再読した上で本稿をお読み頂けたらと思います。
 お手元にない方に向けて、簡単に第一節で物語のあらましを書きました。不足の多い説明だとは思いますが、こちらをお読みになった上で記事の続きを読めば、何となく話にはついていけるかと思います。

 なお2024年夏頃には、この記事と、これの続きでもある「最期の言葉」、その他いくつかの文章を書き下ろして、CLAMP作品批評同人誌として本の形にできたらと思っています。Blueskyやこちらでもアナウンスする予定ですので、ご興味のある方は是非に。

     0.はじめに

 初めて『東京BABYLON』を読み終えた時、強い困惑を感じたことを今でも覚えている。この結末、どういう意味? と小学生の私は思った。最終巻の末尾に付された番外編二つを読んでも困惑は拭えず、文庫版の解説を読んでも頭の中の「?」は消えなかった。

 もやもやした気分のまま、私は仕方なく『東京BABYLON』を本棚にしまい、代わりに『X』を手に取った。読み進める内に『X』にも星史郎や昴流が登場することが分かってきて、私はようやく納得した。きっと『X』を読めば『東京BABYLON』の結末の意味も分かるに違いない。そう信じてお年玉を切り崩し、『X』を順々に読み進めていったのだ。

 そして『X』16巻に到達した私は、またしても困惑することになる。この結末、どういう意味? 私の頭には再びその言葉が浮かんだ。だが『X』16巻によって、昴流と北都と星史郎の物語には明らかに決着がついてしまっていた。そのことだけは小学生の私にも理解できた。17巻、18巻と読み進めて、多少の追加情報は提示されたけれど、結局私の中の「?」は解決されずじまいであった。

 この記事の読者にも、私と似た経験をお持ちの方が少なくないのではなかろうか。『東京BABYLON』と『X』にまたがる昴流と北都と星史郎を巡る物語には、分かりにくいところがいくつもある。『東京BABYLON』の結末が読者を戸惑わせるのは勿論、続編の『X』で描かれる昴流と星史郎の関係もまた、読者を困惑させる。本記事ではその分からなさを解きほぐしたい。『東京BABYLON』のあの唐突にして衝撃的な幕切れや、『X』16巻の謎めいた別離が、一体どのような意味を持って描かれているのか、読者をもやもやさせ続けるあの謎を解いてみたいと思う。

      1.物語の梗概

 さて、そもそも私達は昴流と北都と星史郎の物語の、一体どの辺りに「分からなさ」を覚えているのだろう。それを確かめるためにも、一度『東京BABYLON』・『X』の両作品で展開する、昴流と北都と星史郎の物語の大筋をおさらいしておこう。

 日本を霊的に守護してきたすめらぎ家の十三代当主、皇昴流は十六歳である。彼は高校生の身でありながら、日々陰陽師としての仕事をこなしている。双子の姉の北都や、ひょんなことから知り合った暗殺集団『桜塚護』の跡取り1、桜塚星史郎とも協力しながら、様々な霊的事件を解決してゆく。

 昴流はそうした日々の中で、ある過去の記憶を夢に見る。昴流が陰陽師として初仕事をこなした、九歳の時のできごとである。彼はその折に美しい桜の木の下で、制服姿の青年と出会う。実はこの青年こそが若き日の星史郎であり、満開の桜の木は暗殺集団「桜塚護」の象徴、桜塚護が殺した人間の死体を埋める場所だったのだ。「仕事」を昴流に目撃された星史郎は、彼を殺す代わりに「『かけ』をしましょう」2ともちかける。その内容は、星史郎が昴流と一年を共に過ごす中で、昴流を「特別」な相手だと思えれば彼を殺さない、けれど「特別」だと思えなければ彼を殺す、というものだった。だが星史郎の術によって、昴流は長らく「賭」の内容を忘却していた。作中でも最終回を迎えるまで思い出せないままである。

 星史郎の宣言通り二人は再会し、行動を共にするようになった。昴流が仕事で窮地に陥ると、星史郎は昴流の見ていないところで、あるいは彼の気を失わせるなどした上で彼を助ける。星史郎の術の使い方は残酷で容赦のないものなのだが、彼はそれを昴流や北都に見せようとしない。

 昴流が人工透析を行う少年、勇弥と知り合い、彼の境遇に深入りすることで事態は大きく動き出す。勇弥の母は息子に移植する腎臓を求める余り、昴流を殺傷して腎臓を確保しようという考えを起こしてしまう。昴流は元々勇弥に自分の腎臓を差し出すつもりでいたために、母親の行動を受け入れかける。だがちょうど勇弥の見舞いに来ていた星史郎がそこへ割って入る。勇弥の母が手にしていた刃物が右目に刺さって彼は深手を負い、結果的に右目を失明する。

 昴流は星史郎の失明に強い衝撃を受け、混乱する。彼は星史郎の拒絶を覚悟で謝罪をするが、星史郎は呆気なく彼を許す。その後北都に、星史郎をどう思っているのかと問われた昴流は、彼のためにできることは何かを考える中で、星史郎が好きな自分を自覚するに至る。

 だがその日が星史郎の宣言した「賭」の期日だった。星史郎の病室を見舞った昴流は彼の術中に誘い込まれ、そこで二人の初めての出会いと、「賭」の全容を明かされる。星史郎は、自らが殺人を生業とする「桜塚護」であること、自分は人を殺しても「特に何も感じない」3人間であることを明かす。星史郎は昴流を一方的に痛めつけながら、やはり昴流に対して暴力を振るっても「何も感じない」と告げ、だからこの「賭」に勝ったのは自分であると宣言し昴流を殺そうとする。

 しかし昴流の祖母によって星史郎の術は破られる。星史郎は昴流の殺害を中断して姿を消す。昴流はこの衝撃から立ち直れず、意識を自らの内に沈め、心を閉ざした状態になってしまう。北都は昴流に星史郎を近づけたことを悔いつつ、彼に昴流を殺させないとの思いから星史郎に接触を試み、結局彼に殺される。『X』16巻で明かされることだが、北都には命と引き換えに彼女だけが使える術を持っていた。彼女は星史郎と再会し、彼に殺されることでその術を発動させたのである。術の内容は、星史郎が北都を殺したのと同じ方法で昴流を殺そうとするなら、その技がそのまま星史郎に跳ね返ってくる、というものだった。

 昴流は北都が星史郎によって殺されたことを霊的に直感し、その衝撃から意識を取り戻す。悲しみと憤りから、彼は「あの人だけは僕が……殺します」4と宣言する。ここで『東京BABYLON』の本編は幕を閉じる。

 続く『X』6巻で昴流と星史郎は再登場する。『東京BABYLON』と『X』との間でどれほどの年月が過ぎているのかは定かではないが、『X』の昴流は既に成人している5。その後8巻、星史郎が破壊した中野サンプラザの前で二人は再会する。昴流は星史郎に「ずっと捜していました」6と告げて彼を攻め立てるが、星史郎はそれをかわして逃げてしまう。

 『X』12巻において、昴流はサンシャイン60の結界を巡りものふう(地の龍の神威)と戦うことになる。封真を星史郎にそっくりな人物であると感じた昴流は動揺し、その隙を突かれる形で封真に右目を潰される。ろうかむ(天の龍の神威)は自分のせいで昴流が右目を失ったと嘆くが、昴流自身はこれは自分が望んだことであるからと静かに事実を受け止める。ことの成り行きをそれとなく見ていた星史郎に対して、封真は「彼の『望み』は貴方が考えているものとは違いますよ」7と述べる。

 一方、地の龍の一人で夢見でもあるづききょうは、昴流や星史郎と意外な因縁を有していた。彼は夢の中で北都と知り合い、思いを通わせる仲だった。彼は北都と親交を深める中で二人についても話を聞いていたのである。更に牙暁は夢によって北都の最期をじかに見てもいた。牙暁は北都の「昴流と星史郎の両方に生きていて欲しい」という願いが叶わないことを夢見の力によって予知していたため、昴流と星史郎の行く末を見守っては自らの無力を嘆く。

 『X』16巻、昴流と星史郎はレインボーブリッジの結界を巡って争う。星史郎が「貴方の望みは僕を殺すことではないんですか?」と尋ねると、昴流は「違います」8と答える。星史郎は北都を殺した時と同じように、昴流の胸に手刀を突き立てた。そこで北都の術が発動し、星史郎は昴流に殺されることとなる。

 星史郎が北都の術がどのようなものであるかを昴流に明かすと、昴流もまた、自分の本当の望みは星史郎に殺されることだったのだと明かす。星史郎はその告白を聞いて昴流に何ごとかを告げるが、それは読者にも明示されない形で表現される。昴流は最後に「…貴方は…いつも… 僕が予想した通りの言葉は… …くれないんですね」9と呟くのだった。その後昴流は天の龍達の前から姿を消し、封真から星史郎の左目を受け取ってこれを自らの目とすることで、地の龍に転身する。

 以上が物語のあらましである。『東京BABYLON』や『X』を長らく読んでいないとか、読もうと思っても手許にない、という方も、これを読めばおおまかなあらすじを思い出して頂けるのではないだろうか。字数の都合で省略したところも多いが、そこはご容赦いただきたい。

      2.「分からなさ」の理由

 物語を概観したところで、このストーリーの特にどの部分に「分からなさ」があるのか、もう少し詳しく見ていきたい。まずは全ての始まり、星史郎が幼い昴流に提示した「賭」とはどのようなものだったか確認しよう。

(星史郎)「君と僕がまた会えたら 一年間だけ一緒に過ごしましょう(中略)もし君とまた出会えたら…… 僕は『君』を『好き』になるよう『努力』してみますよ 『一年間』だけ そして『一年』経って……『君』を『特別』だと思えたら…… 君の『勝ち』だから殺しません でもやっぱり『君』を『特別』だと思えなかったら…… この『死体』と『区別』できなかったら…… その時は…… 君を 殺します」10

 星史郎の言葉を整理すると、次のようになる。星史郎が成長した昴流と再び出会うことがあれば「賭」は開始される。星史郎は彼を好きになるよう、一年間だけ努力してみる。もしその一年の内に星史郎が昴流を特別な人だと感じられたら、昴流が「賭」に勝ったことになるから星史郎は昴流を殺さない。だがその一年の間に星史郎が昴流を特別だと思えなければ、星史郎が「賭」に勝ったことになり、その際は星史郎が昴流を殺す。

 つまりこの「賭」とは他ならぬ星史郎自身の感情を巡る賭けなのだ。彼が昴流を特別と思えるか否かについて、お互いの命を賭ける。そんな奇妙なゲームなのである。

 この「特別」という言葉について少し補足しておきたい。上述の引用部分では「この『死体』と『区別』できなかったら」という説明が入っている。これは引用部の直後に、星史郎が「僕は何も感じないんですよ 人間を殺しても何も感じない」11とか、「僕は昔から『人間』と『物』の区別がつかないんです」12とか語っているのと呼応している。昴流が星史郎にとって「特別」な存在になるというのは、この「殺しても何も感じない」対象でなくなること、言い換えれば殺したくない相手になることを意味している。

 さて星史郎が幼い昴流に告げた通り、やがて二人は再会して「賭」は開始された。一年間二人が共に過ごした結果、「賭」の結果はどのようになったか。

(星史郎)「ほらそうやって苦しんでいる貴方を見ても…… 何も感じない 僕にとっては道の小石を蹴っているのと同じなんですよ だからこの『賭』は僕の勝ちです 貴方は僕が殺します」13

 だがこの勝利宣言とは裏腹に、『東京BABYLON』の作中で星史郎は昴流を殺しおおせずに終わる。その直接的な原因は、病室中に作られた魔術的空間が昴流の祖母の術によって破られてしまうからだ。ここまでの展開は衝撃的ではあるものの、不可解というほどではない。

 読者にとって真に「分からない」のはこの後ではないだろうか。昴流が自分の心の中に閉じ籠もってる間に、北都は星史郎に接触して結果的に殺されてしまう。昴流は姉をうしなったショックで意識を現実に引き戻される。『東京BABYLON』の本編はここで幕を閉じる。

 読者は完全に置いてけぼりを食らう。「賭」の結果、星史郎が勝者になったのではなかったのか? なのにどうして昴流ではなく北都が死ぬのか? 予想される結末とちぐはぐな展開に読者は混乱する。

 北都が星史郎と接触した理由が明らかになるのは『X』16巻においてだ。北都は彼女だけに使える術を発動させるため、星史郎に会いに行ったのだ。その術とは、星史郎が北都を殺したのと同じ方法で昴流を殺そうとすると、その技は必ず星史郎に跳ね返る、というものである。北都は星史郎の昴流殺しを止めようとして、いわば自らの命を用いて星史郎を脅すべく彼に接触し、そして殺された。

 しかしこの情報によって『東京BABYLON』の読後感が明瞭なものになるかというと、そうではない。「賭」の勝者である星史郎はどうして昴流殺しを完遂させないのか、それと裏腹に北都を殺すのが速やかなのは何故なのか、そうした疑問への答えは全く明らかにされない。

 それどころか『X』16巻のせいで、二人を巡る謎は更に増える。星史郎は北都の術の内容を理解していたのにどうして術を発動させたのか、というのがそれである。これでは昴流を殺すどころか昴流に殺されてしまうだけなのに。

 こうした「賭」に関連する謎はいくつもある。これらを整理すると、大まかには次のようになるだろう。

・星史郎は「賭」に勝利したと言いながら昴流殺しに不熱心なのは何故か。
・昴流よりも先に北都が殺され、しかも昴流はその後何年間も無事なのは何故か。
・星史郎は北都の術の内容を知りながらこれを発動させた。それは何故か。

 「賭」に直接関係しない部分にも謎は多い。例えば、星史郎は昴流のことをどう思っているのか、彼の最期の言葉とはどのようなものなのか、星史郎は何故昴流に左目を遺したのか、などである。

 今挙げた問いの内、最期の言葉についてだけは別稿で詳しく述べることにして、本記事ではそれ以外の全ての問い答えたい。解くべき謎の数が多すぎるのでは? とお思いの方もいるかもしれない。だが実は、この内の一つが解ければ残りの謎も全て解けるようになっている。

 そういう訳で、全てに先んじて解決すべき一つ目の謎、星史郎の不熱心の謎にまずは取り組みたい。

      3.昴流殺しに不熱心な星史郎

 星史郎が昴流殺しに不熱心であることについては、『X』の中で昴流自身も疑念を示している。

(昴流)「僕には分からなかった 何故僕が何処にいるか知っているのにあの人は殺しに来ないのか ずっと考えて 思い出したんだ あの目を」
(神威)「目?」
(昴流)「僕を殺しそこなった時のあの人の目 あれは…さげすんでる目だった 殺す価値もない ただのモノを見る目 だから…強くなりたかったんだ せめてあの人にとって目障りな存在になれるように 『殺してもいい』と思えるものになれるように」
14

 昴流本人も、星史郎が「賭」に勝ったと言いながら一向に自分を殺しにこない理由をいぶかしんだ。その結果彼は、自分が星史郎から「殺す価値もない」存在だと見なされているのだという結論に達する。彼が煙草を吸うようになった背景には、術者として強くなりたい、強くなって星史郎に「殺してもいい」と思われる存在になりたいという願いがあった。

 昴流自身が提示した「星史郎は昴流を殺す価値もない相手と見なしているからだ」という仮説は、星史郎の不熱心の理由として一応の説得力があるのだが、これも彼の最期の言葉によって否定される。上述の引用部の続きを見てみよう。

(昴流)「でも…それも僕の思い違いだった …人が死ぬ直前に言う言葉は真実なのかな それとも嘘なのかな 僕にはもう分からない 聞くことも出来ないから」15

 何故思い違いだと分かったのかは読者には見えてこないが、確かなのは昴流は星史郎の最期の言葉によって、自分の考えが誤っていたという認識に至らざるを得なかったということだ。

 しかし、それならば星史郎が昴流を殺すと宣言しながら殺さなかった理由とは何なのか。殺したいのに殺せない事情があったのか? 時機を待つ必要があったのか? あるいは気が変わったのか? 『東京BABYLON』や『X』の作中には、その辺りの星史郎の内心が窺える描写が少しもない。

 ここで一旦星史郎と昴流から目を転じて、他のキャラクターの発言に注目したい。同じく『X』16巻で封真(地の龍の神威)と牙暁が次のようなことを言っている。

(封真)「しかし 少なくともこの二人は幸せだと思うがな 殺されたい者に殺される 生きていることに執着していないんだから幸せな最期だろう」
(牙暁)「それが…この『地の龍』の願いだったと?」
16

 封真のこの発言は衝撃的だ。牙暁の言う「この『地の龍』」とは文脈上星史郎のことだから、封真の言っていることはつまり、「星史郎は昴流に殺されたいと願っていた。今回それを達成したのだから幸せな最期だ」というような意味になる。

 これはそれまで『東京BABYLON』や『X』が示してきた物語の前提がひっくり返る発言である。昴流を殺すと宣言していたのに、どうして反対に彼に殺されたがっていたことになるのか? ここでまた読者は混乱させられる。

 しかもこの発言には看過できない重みがある。何故なら発話者である封真(地の龍の神威)は、他者の望みを一目で見抜く力を持った人物として描かれているからだ。昴流、さい護刃ゆずりはたくれん……それまでにも多くの人間が心に秘めた望みを彼に見破られている。それ故に彼の発言の信憑性は高い。

 そうは言っても封真の発言はにわかには信じがたいものだ。昴流を殺すという宣言と、昴流に殺されたいという望みとが両立するとは思えないからである。

 ではどう考えるべきか。このややこしい問題を解きほぐすために、謎をいくつかのパーツに分けて検討してみたい。まず、昴流を殺すことと昴流に殺されることは両立可能なのかどうか。次に星史郎はその両立を望んでいるのか否か。両立を望んでいないのなら、彼は二つの内のどちらを望んでいるのか。そして最後に、どうしてこのような一見矛盾する望みが提示されたのか。それぞれに検討を加えて結論を出せば、封真の言葉を理解しがたく思う人も、納得の糸口がつかめるのではないだろうか。

      4.検証①

 まず、昴流を殺すことと昴流に殺されることは両立可能なのか、それを考えてみよう。ある人を殺しながら同時にその人に殺されるというのは実に矛盾に満ちた状況だが、考えてみるとその二つを一度に叶える方法がない訳ではない。それは何か? ずばり心中である。より正確に言うなら、二人がお互いを殺して同時に死ぬことだ。

 昴流を殺しながら昴流に殺される。それは両立可能な望みであることが分かった。ではその次の問題だ。星史郎はこの二つの両立を望んだか、である。これを確かめるためにはどうすれば良いだろうか。二人がお互いを殺して同時に死ねそうな機会が作中になかったか、その時に星史郎が「殺し合い」を望む素振りを見せているか。それを確認するのはどうだろうか。

 二人が殺し合えそうな機会――そう言われて思いつくのは、『東京BABYLON』「VOL.11/END」で魔術空間にいる時。それから『X』16巻のレインボーブリッジでの戦いの時ではないだろうか。勿論、無理にそのような状況を捻出しようとすれば他の折でも可能だが、心中やそれに類する死に方ができる「チャンス」は作中のどこであるかを考えると、その二つがまずは念頭に登る。

 結論から言うと、星史郎は心中やそれに類する死に方を試みていないと言えるように思う。絶好の機会をみすみす逃しているように感じられてならないのだ。特に後者、レインボーブリッジでのシーンについてその印象が顕著である。北都の術を用いて星史郎は瀕死の状態に陥った。もし彼が本当に昴流を殺し、かつ、彼に殺されることを望んでいるなら、この時は千載一遇の機会であった筈だ。衝撃を受けている昴流の隙を突いて彼を殺せば良い。だが星史郎はそれをしていない。

 『東京BABYLON』のラスト、魔術空間で昴流を痛めつけている時もそうだ。あの状態の昴流であれば、星史郎にかき口説かれれば心中くらい応じてしまいかねないように思える。けれど星史郎は露ほどもその素振りを見せない。ただ昴流を痛めつけるだけだ。

 星史郎は昴流を殺すことと、自分が昴流に殺されること、この二つの両立を望んではいないのだ。

      5.検証②

 上記を踏まえて、検証を次のステップに移そう。昴流を殺すことと、昴流に殺されること。この二つを両立する方法は存在した。けれど星史郎はどうやらその両立は望んではいないらしい。では彼は一体、この二つの内のどちらを真に望んでいるのだろうか。

 ごく当たり前の事実から確認していきたい。そもそもAとBという二人の人間がいた時、Aが一度Bを殺してしまったら、その後Bは二度とAを殺すことは叶わなくなる。死者は生者を殺せない。このことは勿論、星史郎と昴流の二人についても当てはまる。同時に死ぬという唯一の例外が存在するが、それは先ほどの検証①で選択肢から消された。

 上記の素朴な前提を用いることで、星史郎は昴流を殺したいのか、それとも昴流に殺されたいのか、という問いは次のように言い換え、分解することが可能になる。

・「星史郎が昴流を殺したい」というのは「星史郎は昴流に殺されたくない」ということである。
・「星史郎が昴流に殺されたい」というのは「星史郎は昴流を殺したくない」ということである。
・二つは両立しないことが検証①で確かめられた。では星史郎はそのどちらを望んでいるのか。

 突拍子もない、その上頭がこんがらがりそうな言い換えだが、ご容赦いただきたい。別に難しいことは言っていない。「殺したい」と思う以上、殺人を望む側は相手に先に「殺されたくない」。何故なら自分が生きて相手に死を与えたいからである。一方、「殺されたい」と望む者は、相手を先に「殺したくない」。相手に生きて自分を殺してもらいたいと思うからである。故に上記のような言い換えが可能になる。

 話が飛ぶようだが、ここで星史郎にとって「特別」がどのような意味を持った言葉なのか、今一度確認しよう。星史郎にとっての「特別」とは、「『殺しても何も感じない』対象ではななくなった相手」のことだった。それはつまり、殺すことに抵抗を覚える相手とか、殺したくないと思える相手、という言葉で表現し得る。

 上記で提示した言い換えの中に、それと近しいものはなかったか。そう、二つ目の「『星史郎が昴流に殺されたい』というのは『星史郎は昴流を殺したくない』ということである」の項目である。封真の語った星史郎の望み、「昴流に殺されたい」とは、実は「昴流を殺したくない」という言い換えを経由して、星史郎の考える「特別」と強く結びつくものでもある。

 『X』の作中では、他にも星史郎の「特別」について説明された部分がある。16巻の巻末短編だ。『X』5巻から各巻末に添えられているこの番外短編は、毎回天の龍か地の龍のメンバーの一人に焦点を当て、その人物の生い立ちや過去のエピソードを描くというコンセプトで統一されている。16巻では満を持して星史郎の過去が明かされる。物語は彼が先代の桜塚護である母親を殺し、桜塚護を継ぐというものだ。その中で星史郎の母と星史郎は次のような会話を交わしている。

(星史郎)「僕は誰に殺されるんでしょうね」
(母)「貴方が 一番好きな人よ」
(星史郎)「僕に好きな人なんて出来ませんよ 母さん それは僕を産んだ貴方がよくご存じでしょう」
(母)「そうね 私も昔はそう思ってたわ 貴方に会うまで」
17

 星史郎の母によれば、星史郎は彼が一番好き(=特別)だと思う人に殺されるのだという。彼女がそう断言するのには理由がある。実は他ならぬ彼女自身が、「一番好き」な星史郎に殺されることを望み、それを喜ぶ人間なのだ。星史郎に死を与える人間について、彼女が「貴方が 一番好きな人よ」と言うのは単なる憶断ではない。自分と息子がいわば同類であるという認識を踏まえての、確信的な予言なのである。星史郎は母と同じく一番好きな相手に殺されたいと思う人間なのだ、あるいはいずれそのような人間になるのだということがここで明示されている。

 星史郎が昴流に殺されたいと願っていた証拠は二つある。封真の発言と母親の予言だ。では星史郎が昴流を殺したいと考えていた証拠はあるだろうか? 星史郎自身の発言以外に証拠はない。星史郎でも昴流でもない第三者が「星史郎は昴流を殺したいと考えていた」とは言っていないのだ。強いて言うなら北都がそのようなことを言ってはいるが、それは状況からそのように考えたというだけのことで、彼女が封真や星史郎の母のように彼の内面に肉薄した訳ではない。更に状況証拠も上がっている。星史郎が昴流殺しに不熱心だったというのがそれだ。昴流本人を訝しく思わせるほどだから、客観的に見て不熱心だったと思って差し支えないだろう。

 ここまで見てみると、星史郎はどうやら昴流を殺したいと思っていなかったのではないか、それどころか本当は昴流に殺されたいと思っていたのではないか、そんな風に思えてくる。

 では検証を完遂しよう。どうしてこのような矛盾する二つの望みが提示されたのだろうか。答えは簡単だ。星史郎が昴流に嘘をついているからである。

 星史郎は『東京BABYLON』「VOL.11/END」で嘘をついている。彼は本当は「賭」に負けた。彼は昴流を「特別」だと思っている。「特別」だと思ったからこそ、彼に殺されたいと願うようになった。彼が嘘をついたことによって、「昴流を殺したい」と「昴流に殺されたい」の二つが物語の前面に現われることになったのである。

      6.星史郎は嘘をついている

 どういうことか改めて整理したい。私は先ほど、「賭」に関連する謎として以下を提示した。

・星史郎は「賭」に勝利したと言いながら昴流殺しに不熱心なのは何故か。
・昴流よりも先に北都が殺され、しかも昴流はその後何年間も無事なのは何故か。
・星史郎は北都の術の内容を知りながらこれを発動させた。それは何故か。

 星史郎が「賭」の結果について嘘をついているのだと読むことで、これらの疑問は全て解消する。昴流を殺すことに不熱心なのは、本当は昴流を殺したくないからである。昴流が何年間も無事なのも同じの理由だ。北都の術を発動させたのは、星史郎の本当の願いが正に昴流に殺されることだったからである。

 この文章の中で答えを示そうと述べた謎は他にもあった。星史郎は昴流をどう思っているのか、そして星史郎は何故昴流に左目を遺していったか、である。これらにも自ずと答えが出る。星史郎は昴流を「特別」な人、「一番好き」な人だと思っている。そして自分以外の人間がその「一番好き」な人を傷付け、不可逆に損なったことが彼には許しがたかった。『X』17巻で封真がその辺りのことを説明している。

(封真)「…その目 どうも桜塚護は気に喰わなかったらしい お前に… 自分以外の人間がつけた傷跡が残っているのが…」18

 この星史郎の望みのニュアンスについては解釈に幅がありそうだが、大まかには昴流に対する独占欲のようなものであると言えそうだ。

 さて、星史郎が「賭」の勝敗について嘘をついているという前提で、もう少し丁寧に彼の内面を追いかけてみよう。始まりは幼い昴流との出会いだった。この時星史郎は昴流を見て、この人を好きになれるかもしれないと思った。だが彼には確信がなかった。もしかしたら母親に語っていた「自分には好きな人なんてできない」という考えに固執していたのかもしれない。そこで彼は昴流を一方的に「賭」へと巻き込んだ。自分が昴流を好きになれなければ彼を殺す。自分が彼を好きになれれば、すなわち星史郎が母と同じく一番好きな人に殺されたいと望む人間になれれば、死を免れた昴流に星史郎自身を殺させる。そういう「賭」へ、である。

 星史郎は自分が勝てると思っていたが、タイムリミットぎりぎりのところで「賭」に負けた。自分でも負けを認識している。では何故「賭」に勝ったと嘘をついたのか? 答えは簡単だ。昴流に真実を告げたところで、彼の望みが叶わないからである。真実を知っても昴流は星史郎を望み通り殺してくれるような人物ではない。彼は「優しくて純粋で誠実」な人間で、およそ望んで人殺しをするような人物ではない。そのことは読者の目にも明らかだろう。

 星史郎も読者と同じように考えた。では「優しくて純粋で誠実」な昴流に自分を殺させるにはどうしたら良いか? 星史郎はその問いに次のように答えを出した。彼に殺意を抱かせれば良い、と。だから星史郎は嘘をついた。「賭」に勝ったと嘘をついて昴流を痛めつけ、ショックを与えた。彼が星史郎を憎めば、殺したいと思ってくれる可能性が上がる。接触してきた北都を殺したのは、姉の死が昴流の殺意を育むと考えたからだ。実際、彼女の死は昴流の心に大きな衝撃を与えた。星史郎はこれにより、昴流に一度は「あの人だけは僕が……殺します」19と言わせることに成功している。

 だが昴流の殺意を煽るという作戦は、結局のところ半ば成功、半ば失敗に終わる。確かに彼は昴流に殺されるという望みを叶えた。だが昴流は星史郎を殺したいと望む人間にはついぞ、ならなかった。むしろ彼がなったのは彼に殺されることを望む人間だった。姉を星史郎に殺されてなお、昴流は彼に怨みではなく愛情を向けることを選んだのだ。

 星史郎は自らの望みを叶えた。しかしそれと同時に、昴流を根本から見誤っていたと気付かされたのだ。

      7.作品に潜んでいるミスリード

 今にして思うと、私は『東京BABYLON』「VOL.11/END」を読み終えた時、無意識に次のように考えていた。昴流は星史郎を愛している。星史郎もまた昴流を愛していたなら、二人は愛し合う者同士幸せになれた筈だ。けれど物語は悲しい終わり方をした。星史郎は昴流に暴力を振るうし、北都のことも殺してしまう。これはどう考えても星史郎が昴流を愛していない証拠だ、と。

 何故そのように思ったのか? 恐らく理由の一つは、私がそれまでに接してきた様々なフィクションにある。『東京BABYLON』を読む前からそれなりの数フィクションに触れてきた私は、「愛し合う二人は幸せに暮らしました」というのが物語の典型的なハッピーエンドの形であるという学びを得ていた。いわばフィクションに関する固定観念とか常識のようなものを、私はこの時既に持っていた。

 実は『東京BABYLON』という作品自体が、読者のこうした固定観念を喚起するような強い誘導を行っている。要するに読者をミスリードしているのだ。

 どういうことか。「VOL.11/END」の一つ前の回である「VOL.10/PAIR」の内容を確認してみよう。

 星史郎の失明を気に病む昴流は、街を歩いている際に盲導犬を連れた視覚障害者の男性に行き会う。物珍しさから盲導犬にちょっかいをかける男子学生が現われるが、昴流がこれを追い払うことで男性と昴流の間に交流が生まれる。昴流は盲導犬について教えてもらいたいことがある、と言って男性をカフェへと誘うが、動物の同伴は不可であるとして入店を断られてしまう。二人は仕方なく公園のベンチに腰掛けて話をする。昴流は自分のせいで右目を失明した人がいること、片方の左目に負荷がかかるため左目もいずれ見えなくなると診断されたこと、その人(星史郎)が生きていく上で盲導犬は有効な選択肢になるのではないかと考えたことなどを述べる。男性は丁寧に耳を傾けた後、昴流に盲導犬協会の連絡先を教えてくれる。そして次のように言うのである。

(男性)「盲導犬がやってくるまで貴方はその人の『目』になれますよ 見えなくなるその人の『目』の代わりにいろんなことを見て それがどんなものか教えてあげられるじゃありませんか 貴方もその人も辛い経験をなさったんです 今度は二人一緒に『ペア』で幸せにならなければいけませんよ」20

 昴流はその言葉に感じ入り頭を下げる。少しくつろいだ雰囲気になった後、男性は「しかし貴方は本当にその人のことがお好きなんですね」21と言う。昴流はその言葉をきっかけにして星史郎のことが「好き」なのだと自覚するに至る。

 この「VOL.10/PAIR」は、タイトルの通り昴流と星史郎が「ペア」となって、二人で共に生きていく可能性を感じさせる回である。昴流から星史郎への思いの深さが感じられる感動的な回でもあるのだが、しかしこのタイミングで「ペア」というモチーフを提示するのは、読者に対して強い誘導をかけていることになりはしないだろうか。

 読者は思う。つまり昴流の「好き」という気持ちが報われれば――昴流の「好き」が星史郎に受け入れてもらえれば、二人は共に幸せになれる筈だ。次回、星史郎は昴流の愛情を受け入れてくれるのだろうか? それとも拒絶するのだろうか?

 この回は二人の破局をより劇的なものにするための残酷な演出である。上記の問いの答えは明らかだ。星史郎が提示する未来はどちらでもない。この「VOL.10/PAIR」で示される二人の未来は、最初から見込みのないただの幻なのである。星史郎は昴流の愛情を受け入れも拒絶もしない。彼にとって昴流の愛情など、端から「どうでもいい」のだ。彼にとって重要なのは自分自身のこと、他ならぬ自分が昴流を「特別」だと思えるかどうかにあるのだから。

      8.「ANNEX/SECRET」の意味

 私はここまで、星史郎は昴流に殺されたがっているだとか、星史郎は昴流を「特別」だと思っているだとかいうことを長々と論じてきた。この文章を読んでいる人の中には、当然次のような疑問を持った方もいるだろう。星史郎が昴流に殺されたがっていたのは分かった。それが「特別」という感情と結びついていることも。では一体、星史郎はいつ昴流を「特別」だと思うようになったのか? 一体何がきっかけで彼は変わったのか? と。

 その問いの手がかりとなるのが『東京BABYLON』の番外作「ANNEX/SECRET」である。「VOL.11/END」で語られた内容のおさらいという趣きのある本作だが、どうしてこの内容を本編の末尾に配したのか、今一つ意図が不明瞭にも感じられる作品である。

 だがこの短編は、実は『東京BABYLON』という長編作品の中で非常に重要な働きを担うパーツでもある。重要な働きとは何かを説明するために、一度「ANNEX/SECRET」の内容を振り返りたい。

 この番外作は本編の「VOL.5/SAVE.A」・「VOL.5/SAVE.B」で展開するMS研究所の事件の合間を描いた短編である。より正確に言うならば「VOL.5/SAVE.B」の「賭けの最終期日は延期ということにしましょうか 昴流くん」22というセリフの直後のシーンを描出している。星史郎は自らの術で気を失った昴流を仕事場の動物病院へと運ぶ。に対して怒りを露わにした昴流について星史郎は、「誰よりも『他人』に優しくて誰よりも『自分』に厳しい…… まるで 『殉教者』だ」23と独語する。その後自らが獣医に身をやつしている理由について、動物の命を利用して「さかなぎ」を避けるためであると語り、そんなことを平気で行える自分には感情がない、昴流に対しても「何も感じない」ままであると述べる。その後、術者にとって出生地や生年月日の情報が急所になり得ることが語られ、何故昴流は誕生日を偽らなかったのかと星史郎は訝しみ、どことなく苛立った様子を見せる。最後は「さ お家までお送りしますよ 『僕の大好きな皇昴流くん』」24というセリフで締めくくられる。

 この短編において、昴流は登場してこそいるものの、最初から最後まで意識を失っている。それ故に星史郎の言動は他人に見られたり、聞かれたりすることを想定していないものばかりである。つまりこの作品の星史郎は確実に嘘をついていない。周囲にいる他人は昴流だけで、その彼も意識を失っている。星史郎は嘘をつく必要のない状況に身を置いているのだ。

 つまり星史郎はこの短編の時点、すなわち本編「VOL.5/SAVE.B」終了時点では、まだ昴流を「特別」だと認識していない。これが嘘をつく必要のない場である以上、昴流に「何も感じない」というのがこの時点での彼の本心なのだ。この短編が表している最も重要な情報は、実はそのことである。

 この事実から、星史郎がいつ昴流を「特別」だと思うようになったのかが絞られてくる。彼の昴流への認識が変わったのは「ANNEX/SECRET」よりも時間的に後、ということになるからだ。本編に即して言うならば「VOL.5/SAVE.B」より後、「VOL.11/END」より前の時点ということになる。その期間にあった「きっかけ」となりそうなできごとといえば、思い当たるのはただ一つだ。「VOL.8/REBIRTH」のラスト、勇弥の母が昴流に襲いかかり、その昴流を庇って星史郎が右目を失った事件である。

 「VOL.8/REBIRTH」のラストを確認してみよう。勇弥の母に我が身を差し出そうとした昴流だったが、その眼前に星史郎が飛び出してきて彼を庇う。勇弥の母が手にしていた刃物によって星史郎は右目を負傷し、大量の血を流す。だが星史郎は負傷した直後の大ゴマでは笑みを浮かべて直立しており、その後北都が「星史郎ちゃん‼」25と叫んだ後にも、「ニヤ」と笑みを浮かべている。右目に失明するほどの怪我を負った人間の反応として、およそ尋常なものとは言いがたい。

 星史郎の不穏な言動は他にもある。続く「VOL.9/NEWS」で、彼は警察官と思しき人物から、加害者である勇弥の母を告訴しないのかと問われる。その時彼は臨席していた医者と次のようなやりとりを交わしている。

(医者)「……君はそれでいいんですか?」
(星史郎)「いいんですよ もう どうでもいいんです」
(医者)「えっ」
26

 負傷直後の笑みも、「もう どうでもいい」という発言も、意味深でショッキングな表現だが、この負傷こそが星史郎にとって愛情の自覚の瞬間であったと考えれば筋が通る。昴流の前に飛び出した理由こそ定かではないが、彼を庇い不可逆な傷を負うことで星史郎は気付いた。昴流のために自らが損なわれた時、自分は喜びを感じるのだ、と。負傷しながらも彼が笑った理由は、正にこの気付きのせいではなかったか。自分が母親にそっくりな人間、一番好きな人に殺されることを望む人間であると彼が自覚したのは、正にこの時だったのだ。

 一度気付いてしまえば彼の行き着く先は一つだ。彼は母の予言通り、特別な相手によってより徹底的に、あるいはより本質的に損なわれることを望むようになる。それこそが昴流の手で殺されたいという望みが誕生する瞬間であった。こうして物語は「VOL.11/END」へと逢着し、その後『X』16巻へ向かうのである。

 昴流を庇って右目を失うことと、昴流の手で殺されることの間には大きな違いがあると考える向きもあるかもしれない。だが例えば『X』において、ものとりは母のから「貴方は 愛する人のために死ぬわ」27と予言された。小鳥は死ぬ直前、この予言について「おかあさんいってた… わたしはあいするひとのためにしぬって… それは… あいするひとにころされるって…ことだったのね…」28と述懐している。ここでの「愛する人のため」とは「愛する人を理由に」といったニュアンスであり、かなり幅広い意味を含む言葉となっている。

 また同じく『X』のありがわそらは、師である高野山の高僧に以下のように言われている。

(高僧)「空汰 『神威』に出会い 『神威』の 助けとなれ 命の限り 『神威』を守れ しかしお前が『死ぬ』のは『女』の為だ お前は お前の愛する女の為に 命を落とすだろう」29

 これは空汰の死が「愛する女」によってもたらされることを示す予言である。空汰はその「女」を嵐であると思い定め、彼女を守って死ぬのが予言された未来であると確信しているのだが、この予言もまた、小鳥に下された予言と同種の不穏さを帯びている。作品は小鳥への予言を「愛する人に殺される」という形で成就させた。これを見た読者は「愛する女の為に」という予言もまた、読者の意表を突くような、そして不幸な形で成就するのではないかと考えずにはいられなくなる。実際、『X』18.5巻では嵐が空汰を殺す可能性を予感させる展開になってもいる。

 昴流についてもこれらの予言と近しいことが言えるだろう。星史郎が昴流を庇って右目を失うことと、昴流の手によって死ぬこととの間には一見大きな隔たりがある。しかし実はそのどちらも、「昴流のため」という言葉に包摂され得る。星史郎は昴流のためであれば、庇って右目を失っても良いし、昴流の手によって殺されても良い。星史郎が後者の方をより強く望むのは、単に愛する人によって自己が損なわれる、その程度が激しいからにすぎないのだ。

      9.北都の死が意味するところ

 昴流に殺されたいと願う星史郎にとって、北都の最後の術は渡りに船だったことだろう。何故ならこれによって星史郎は確実に昴流に殺してもらえる手段を手に入れたからである。

 北都は何故自らの命と引き換えにこのような術をかけたのか。恐らくそれは彼女が昴流と星史郎が愛し合い、共に生きることを望んでいたからだ。彼女は昴流が星史郎を愛していることを知っていたし、どうやら星史郎が昴流を愛しているらしいことにも気付いていた。『X』16巻で彼女が発する「償えない罪は確かにあるけど… 人を愛しちゃいけない人なんていないんだよ… 星ちゃん…」30という言葉からはそんなことが窺える。

 だが彼女は、星史郎が昴流を殺そうとする真の理由を理解していなかった。星史郎が昴流を殺そうとする理由について北都は、皇と桜塚は長年の仇敵同士だから殺そうとしているのだろうとか、星史郎が暗殺を生業とする以上昴流の存在が邪魔なのだろうだとか、例えばそういった理由を想像していたのではないかと思われる。昴流を殺そうとすれば貴方自身が死ぬことになる、と北都は言ったが、それは釘刺しのつもりの言葉だった。桜塚護がどれほど残酷な人間であったとしても、自分の命と引き換えにしてまで昴流を殺そうとはしない筈だ、と北都は考えたのだ。

 お互いの愛情を重んじることで、殺し殺される関係から下りて欲しい。それが北都の願いだった。「昴流と貴方に… 生きてて欲しい」31と言った彼女の望みは、愛し合う二人が共に生きて幸せになることだったのだ。まさか愛する人と共に生きたいと思うどころか、その人に殺されたいと心底望む人間がいるとは、流石の北都も想像だにしなかった。

 だから牙暁は北都のために泣く。「君が信じた未来は…来なかった 君の命をかけた『願い』は叶わなかった こうなると分かってて… 僕は君に何も出来なかったんだ…」32と彼は言う。北都が星史郎の願いを見抜けなかったこと、そのせいで彼女の命を賭けた「願い」が、星史郎の望みに利用されるだけになってしまったことを嘆くのだ。

 昴流に殺されるために「賭」の勝敗を捻じ曲げ、北都を殺して憎しみを煽り、彼女の命を賭けた術すらも利用する。星史郎のやることは徹頭徹尾人でなしのそれだ。思うままに昴流と北都をもてあそんだ彼だったが、唯一の誤算は昴流が彼自身と同じ形の愛情を抱いたことにあった。

 北都が星史郎に対して「昴流は貴方を『特別』だと認識してしまった」33と言った時、星史郎はその言葉に何ら特別な反応を示さなかった。彼は自らの愛の中に自閉していた。その時既に星史郎にとって昴流は愛する人、「特別」な人ではあったが、同時に彼には共感のできない相手でもあった。「君は僕と正反対の『心』を持っている…… 優しくて純粋で誠実で……」34と彼は幼い昴流に語った。星史郎の認識では自分と昴流は対極の人間で、ものの考え方も感じ方も全く違う。そんな昴流が自分を「特別」だと思ったからといって、その「特別」に何の意味があるというのか。「特別」の表れ方も、その感情によって昴流が抱く「願い」も、自分とは全く違うに決まっている。自分は彼に共感することができない。この世の多くの人に共感ができないのと同じように。共感できない理解不能の感情を向けられたところで何の意味もない。――星史郎はそんな風に考えたのではないだろうか。

 彼のそうした考えは冷静な現実認識であるようで、その実酷く独りよがりなものだった。昴流は星史郎を見送った後、神威に対してこう語っている「僕を殺しそこなった時のあの人の目 あれは…蔑んでる目だった」35。星史郎に蔑まれているという昴流の認識は確かに大きな勘違いだったが、同時に実に正鵠を射た洞察でもあった。星史郎は昴流を理解不能な相手として突き放し、そして軽んじていた。好きになれなければ殺してしまえば良い相手、愛しても嘘をついて騙しおおせる相手だと見なしていた。それが軽蔑でなくて何だろうか。

 彼のそうした独りよがりな認識が突き崩されたのは、死の間際においてだった。彼は昴流に「貴方の望みは僕を殺すことではないんですか?」36と問う。昴流は「違います」37と答える。殺意を煽ろうとしてきた今までの作戦は失敗だったと悟った星史郎は、北都の最後の術を使って自らの望みを叶えようとする。けれどそれが成功裡に終わった時、昴流は「だから…貴方に殺されたいと思った」38と告白する。昴流は星史郎に北都を殺されてなお、姉への愛よりも星史郎への愛を選んだ。北都を殺した相手として星史郎を憎み、殺そうとするのではなく、そうすることのできない自己を愛する彼に殺してもらいたいと願ったのだ。昴流は北都を捨て、星史郎を選んだ。北都の「愛する人と共に生きて幸せになって欲しい」という願いも捨て、彼女の象徴する穏やかな日常世界も捨て、彼女の弟として「優しくて純粋で誠実」だった自分をも捨てて、星史郎のいる血みどろで残酷な地平へと旅立っていった。

 かつて北都は言った。「『昴流をどこか遠くへ連れて行かないで』」39。勿論、星史郎は約束を破った。昴流は北都の手の届かない、理解も及ばない、遠い遠い場所で星史郎の望みを叶えさせられた。けれど彼はその「遠く」へと至る旅の途中、幾度も愛する姉のことを回想した。

 『東京BABYLON』の巻末番外作、「ANNEX/START」にはその「遠く」へ至る旅の様子が描かれている。

(北都)「『昴流』と『私』は『別』の人間だってことちゃんと覚えておこうね お互いに『違う』人なんだってわかってるってすごく大切なことだと思うよ」40

 姉の残像は思い出の中からそう語りかける。その昔彼女に言われた通り、昴流は鏡の中の北都に対して朝のあいさつをする。「……おはよう 姉さん……」41。そして彼は鏡を割る。

 昴流と北都は、何と異なる人間になったことか。そして姉を――姉の象徴する穏やかな日常、「優しくて純粋で誠実」な自己を捨てる過程で、昴流がどれほど傷付いたことか。

 大切に思っていた他の全てを振り捨てて、昴流は星史郎のもとへと走った。その結果があのようであったと思うと、私はどうしても封真のこの一言を思い起こさずにはいられない。「つくづく我儘な男だな あの男…桜塚星史郎は」42

 これが愛し合った者同士の顛末である。

 脚注・参考文献

  1. 星史郎が暗殺集団「桜塚護」とどのような関係にあるかについては、作中でも様々に表現されていて一貫性を欠いている。「VOL.0/T・Y・O」や「VOL.1/BABEL」では「跡取り息子」と表現され、「VOL.5/SAVE.A」では「『桜塚護』の関係者」と表現されている。 ↩︎
  2. CLAMP『東京BABYLON 1』「VOL.1.5/DESTINY」P.110・2000年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  3. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.115・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  4. 同P.150~P.151 ↩︎
  5. 昴流の喫煙描写があるため成人済みであると判断した。『X』に登場する昴流は髪型や服装が『東京BABYLON』の番外短編「ANNEX/START」とかなり似通っているため、「ANNEX/START」が『X』の直前を描いている可能性が高い。 ↩︎
  6. CLAMP『X 第8巻』P.56・1996年・角川書店 ↩︎
  7. CLAMP『X 第12巻』P.71・1999年・角川書店 ↩︎
  8. CLAMP『X』16巻・P.57~P.59 ↩︎
  9. 同P.88~P.89 ↩︎
  10. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.100~P.102・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  11. 同P.102 ↩︎
  12. 同P.105 ↩︎
  13. 同P.117~P.119 ↩︎
  14. CLAMP『X 第16巻』P.128~P.129・2001年・角川書店 ↩︎
  15. 同P.130 ↩︎
  16. 同P.112~P.113 ↩︎
  17. 同P.177~P.178 ↩︎
  18. CLAMP『X 第17巻』P.149~P.150・2001年・角川書店 ↩︎
  19. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.150~P.151・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  20. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.10/PAIR」P.53~P.55・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  21. 同P.57 ↩︎
  22. CLAMP『東京BABYLON 3』「VOL.5/SAVE.B」P.104・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  23. CLAMP『東京BABYLON 5』「ANNEX/SECRET」P.157・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  24. 同P.162 ↩︎
  25. CLAMP『東京BABYLON 4』「VOL.8/REBIRTH」P.104・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  26. 同P.155~P.156 ↩︎
  27. CLAMP『X 第7巻』P.59・1995年・角川書店 ↩︎
  28. CLAMP『X 第9巻』P.28・1997年・角川書店 ↩︎
  29. CLAMP『X 第5巻』P.122~P.126・1993年・角川書店 ↩︎
  30. CLAMP『X 第16巻』P.108~P.109・2001年・角川書店 ↩︎
  31. 同P.103 ↩︎
  32. 同P.111 ↩︎
  33. CLAMP『東京BABYLON 4』「VOL.9/NEWS」P.150・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  34. CLAMP『東京BABYLON 5』「VOL.11/END」P.100・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  35. CLAMP『X 第16巻』P.128~P.129・2001年・角川書店 ↩︎
  36. 同P.57 ↩︎
  37. 同P.59 ↩︎
  38. 同P.81 ↩︎
  39. CLAMP『東京BABYLON 4』「VOL.9/NEWS」P.151・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  40. CLAMP『東京BABYLON 5』「ANNEX/START」P.181・2001年・新書館ウィングス文庫 ↩︎
  41. 同P.183 ↩︎
  42. CLAMP『X 第18巻』P.119・2002年・角川書店 ↩︎

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