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ヘキライ第33回「○○にあてはまる言葉を答えなさい」に参加すべく書いたものですが、連想スケッチみたいになりました。あと、何かありきたり。ちょっとだけグロいというか痛いけど、まあたぶん大丈夫。あと、あてはまるのは言葉じゃなかった…(笑)

「当て嵌まるって、変なの」
君は突然、棺桶の中みたいに静かで埃っぽかった図書室の空気を破壊した。それは無辜で無名で無知な人間を一人、通り魔が刺殺しようとするのに似ていた。
「当て嵌まるって、何。当て嵌まる、当て嵌まる、鋏で角を切り落とす。四センチ×三センチ。当て嵌まる当て嵌まる。爪を切って髪を切って、当て嵌まる様に。纏足するんだ。当て嵌まるって言われたから当て嵌まる様に。そうやって殺されちゃう、殺されちゃう、今度こそ殺されちゃう、当て嵌まる様に」
役者が、緊張を理由にのべつ幕無し、壊れたおにんぎょさんみたいに科白を吐いてる。驚きもしたし、嫌な気持ちにもなった。だってそれは通り魔の犯した殺人だったから。でも、だからって怖いなんて事は無かった。君は何時もそんな風だ。机に広げた問題集の、ノートの、筆箱の、もっと言うなら鞄の、爪先の、襟元の、ポケットの、口の中の、耳の中の、ありとあらゆる空白が耐えられない。それでこうやって、発作的に喚いたりする。それを見るなり、ぎょっとする人はとても多い。でも僕にとってはもうそれは慣れっこの日常で、只その醜さだけが、白々と際立って見えるばかりだ。
がた、と椅子を引く音が一度響けば、それは雨垂れ式に続いた。ほら、やっぱり君の発作は人を驚かせ、不快にさせる。人はどんどんと図書室から居なくなった。君は、まだ喚いていた。喚く事に陶酔して、辛そうなのに幸せそうだった。そうやって自分の世界の皮膜を分厚くして、世界を見られなくなってしまうと、もう殺人の危険は無い。其処から段々、僕の好きな君になってゆく。
「殺されちゃう。当て嵌まったら、当て嵌まらなくても。殺されちゃう前に殺さなきゃ」
君の解いていた数式の解は、y=3πx。空欄に当て嵌まるのは3。ノートの空白を埋められるのは、Fの硬いシャー芯の跡。筆箱には三十六色の色鉛筆。鞄の中には持ち上げられない位重い荷物。爪先が気になるならトウシューズを履くと良い。襟元はネクタイをきつく締め上げて、ポケットにはヨックモックのお菓子をぎっしり詰めてあげよう。後は口と、耳と……
「鰓呼吸したいよう」
君は殆ど泣きながらそう言った。僕と君以外に誰も居なくなった図書室は、通り魔が人を殺せる程の人口密度なんてありやしない。ど田舎の農道でナイフをギラギラ構えて待ってたって、誰も通るもんか。君はもう君自身の世界から出られない。鼻を啜る音を聞いてさり気無くそちらへ目を転じれば、薔薇色の頬が見えた。目元から紅色が広がって、熟れた桃みたいだった。
「僕の周囲を全部、水が取り囲んでいれば良いのに。当て嵌まる。切り取る。隙間を埋める。僕じゃなくなる。間隙。当て嵌まる……当て嵌める……」
空欄補充なんて事、君はしなくて良い。君が怖れるもの全てが、僕にはナンセンスだ。君は君の世界で充足している。この世の空白とか、自分の外の間隙に心惑うなんて、愚の骨頂だった。三十六色の色鉛筆、鉛の様に重い荷物、トウシューズ、ネクタイ、口と……耳と……鰓……それだけで良い。必要ならいくらでも生み出せる。
「僕の鰓は何処?」
顎の下に、鰓を作ってあげれば良いのかな。それこそ、通り魔のナイフで切れ込みを入れて?真っ赤で綺麗な鰓。其処をひくひくさせて、君は水から酸素を取り込む。口の中が水で一杯になる。水中では只の飾りになった耳の後ろに鰭があって、びちびちと水を掻いては揺れ、掻いては揺れ。
「当て嵌まりたくない……切り取られたくない……。でも、隙間は嫌……。当て嵌まらなきゃ……当て嵌めなきゃ……。水みたいに、どんな器でも埋めてくれるものとして……」
今度こそ本当に涙が溢れる。薔薇色の頬を伝い、顎の稜線を辿るのが見えた。君の潮汁、つついて食べたい。
慰めどころか、声を掛けもしない。それが僕の、君に対するやり方だった。君はいつも、こちらを凝と見据えて来る。まるで助けを呼ぶみたいに。君を一切の空白無しに、一切の切除無しに充足させられるのは、僕であるとでも言う様に。そんな風に君が期待しているのを、涙を滲ませて頬を真っ赤にしているのを見るのが好きだ。妄想の中で、君の顎の下を裂いて鰓を作ってやるのが好きだ。トウシューズを履かせ、ネクタイをきりきりと締め、乱暴に扱ったら割れてしまう羽根の様な菓子をポケットに詰めてやる。持てない程の重い荷物を腕にぶる下げて、君を水の中に突き落とす。君は苦しむ、丁度僕に裏切られ続ける今みたいに。けれどそれが幸せなんだって、君は良く知っている。そんな姿をずっと見ていたい。君が辛そうに幸せそうに泣いている、一番綺麗なところを。
「嫌……嫌だ……捨てないで……一杯にして……。水の中で……僕、僕は……」
ひ、としゃくり上げる声。机に散る涙。腫れた瞼。君の頭の中、疼痛がするんだろうね。分かるよ。君は今日も君に溺れてる。とっても素敵な事だ。
「当て嵌まる……ものを……答えなきゃ……」
ぜえぜえと荒い息を吐き、涙をぼろぼろと零しながら、君はどうにかこうにかシャープペンを持った。君の中に、外の空欄へ入れてすっぽりと嵌まるものなんて無い。それは僕の確信に満ちた解答だ。
「当て嵌まらない……何も……切り落とすか……水みたいに……ならなきゃ……」
あー!!と君は吼えた。図書室の古い壁やら本棚やら蛍光灯やらに、そのがさがさとした声は反響して、やがて消えた。うぁんうぁんと残響がする。君は音を追う様に部屋全体を見回すと、Fの薄いシャー芯で、空欄に「Ø」と書いた。
空集合って、何も無いのに充足してる。でも君には不釣り合いだ。君の中には多くの豊かなものがある。只単に、それは矯められないだけだ。それで良いのに、君はそれに価値を認めない。
君は何度も何度も、ノートと問題集の全ての空白にØを書き込んでゆく。Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø…………。
「Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø」
君の声が、段々遠くなる。君の涙が、頬が、瞳が、不鮮明になる。僕と君の間に腫れぼったい皮膜が出来てゆく。Øがそうさせている。Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、その魔法の記号が、君を何もかも無力に、君を解体してゆく。君の中で僕が一番好きな、苦しんでいる美しい君を。君は、君は解ける。君は空白になる。君は何かに埋められる何かになる……。
「Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø…………」
君は魚で、真っ赤な二つの鰭があった。そこをひくひくと蠕動させて、君の周囲を埋め尽くす水から酸素を取り込む。
かと思えば君はダンサーで、薄ピンクのトウシューズを履いて、きつくネクタイを締めて、鉛みたいな荷物を持って踊る。
君は三十六色の色鉛筆を持って、ヨックモックのお菓子をポケットに詰め込んでいる。
それじゃダメ?結構、頑張ったんだけど。僕は君が大好きだから、君の事を埋めようとして、君をあれこれ想像したよ。君の気持ちに沿う様に。桃みたいに真っ赤に熟した頬、潮汁みたいな涙を溜める瞳、食べずに我慢して、話し掛けもせずに君の中に君を溺れさせたよ。
嗚呼君の事、食べちゃいたい。僕の中を君で埋めて欲しい。僕、空っぽなんだ。何も当て嵌まらないんだ。ねえ、皮膜が本当に隔ててしまう前に、食べて良い?
「Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø……」
「泣いてる君が好き。真っ赤に目を腫らして、頭を痛めて、泣き叫んでる君が好き。外の世界に働きかけられなくて、自分の事しか考えられない君は、凄く肥え太ってる。僕がこんな風に幸せに太らせた。ね、食べて良い?食べて良い?僕を埋めて?」
「Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø、Ø」
君の発する「Ø」が、段々「良いよ」って声に思えて来た。君は君を空白だと思ってる。何も満たさない伽藍堂だと思ってる。そんな事無い。君は君という生簀で僕が育てた丸々太った美味しい魚で、君には君にしか無い善さがある。美味しそうで可哀想で、僕はもう堪らなくなって皮膜をナイフで切り裂いた。通り魔なんかとは違う。殺したい人を殺すんだ。殺す事には充実した意味がある。美味しい意味が。それを新鮮な内に丸々食べる。骨も残さず。
君は皮膜を切り裂くと、突然書くのも声に出すのもやめて、また泣いた。痛いの?そうだよね。君は破られちゃった。あんなに空っぽでいたかったのに、また外から押し寄せて来てしまった。でも大丈夫、君は美味しい。まずはØを色とりどりの色鉛筆で塗り潰さなきゃ。沢山書いたね、頑張って全部潰してね。その間に、鰓を作ってあげる。顎の下に二つ、真っ赤で綺麗な切れ込み。痛い?可哀想、可愛い。そうしたらトウシューズを履かせてあげる。リボンをクロスさせて、脚が鬱血する位縛る。鰓からひゅーひゅー音が聞こえる。空白の音だ。君は破れちゃったから、やっと外の世界が分かる様になった。でも、外って痛いよね?こんなに血を流して。だから大丈夫。すぐに沈めてあげる。ほら、次はネクタイ。水色のタイは君に良く映えるよ。これも首が青くなる位締め上げる。ポケットにはお菓子をたっぷり。割れても大丈夫、元から脆いものだから。荷物、重いけど水の中では平気だよ。君を一番下まで連れて行ってくれるんだ。あ、全部塗り潰したんだね。準備完了。
「ね、食べるよ。食べるよ。美味しそう。美味しそう」
水に突き落とした。僕の中に君が入って来た、鉛の荷物に引かれて。美味しい。耳の後ろの鰭がちゅるちゅると蠢く。君の鰓の切れ目を舌で感じた。君の喘ぎ声が軟口蓋を顫わせた。噛まずに嚥下した。喉を鳴らす。君が僕の中へ入ってゆく。嗚呼、何て美味しいんだろう。埋まってゆく。空白が。僕にぴったりと、誂えた様に嵌まる。体内でびくびくと跳ねたのが分かる。僕の中の他者。僕の中へ入って来るもの。埋めに来るもの。
「今日も、ご馳走様。明日も美味しいのが食べたいな」
図書室は、棺桶みたいにがらんとしている。それは今日、僕が君を一人殺して食べたからだ。明日もまた君を一人殺して食べる。君はすぐに僕の中から出て行ってしまう。満足を得たのも束の間、君は僕の中で消化されて、跡形も無く葬られてゆく。
「僕の中にずっと嵌め込まれていて欲しいのに……僕が……僕じゃなくなる位に……」
涙が滲む。先程の君の涙だ。耐えられない。僕はすぐに君を逃し、君はまた僕を逃す。君は僕じゃない。僕は君じゃない。食べて食べて食べて食べて……なのにずっと、君が愛おしくて堪らない。食べたくて食べたくて堪らない。
いずれまた生まれる空白に、此処彼処に存在する、埋めなくてはならない空白に、君を詰め込んで埋めなくてはならない。
当て嵌まる言葉を答えなさい。
y=〈   〉x
「当て嵌まるって、変なの」
通り魔みたいに人を刺してみたい。僕の中から出ずに。そうすれば君は此処から消えたりしない。そう思ってみるのに、いつも空白を埋めようとすると、図書室の中、君は目の前で僕を嘲笑って、苦しむのを楽しそうに眺めている。

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