清水玲子作品をあらかた読んだ

清水玲子の初連載作品である『竜の眠る星』と、かなり以前に読んだ事はあるもののきちんと結末を知らずに居た『秘密』の両方を読んだ。
レビューではないので白泉社定点観測には上げないけれど、ちょっと考えるところがあったので文章にしてみる。
上記二作品に読了マークが付いた事で、私は清水玲子さんの主要作品を恐らく一通り読んだ……のではないかと思う。『竜の眠る星』、『月の子』、『輝夜姫』、『秘密』(Season0を含む)の四作品だ。『竜の眠る星』はJ&Eシリーズ唯一の長編という事で、もう少し併せて読む必要のある作品もあるけれど、ひとまずは長編を読んだという事で。今回清水玲子作品を俯瞰的に眺めて、つくづく、一人の作家の作品を、発表順に追ってゆく事の大切さを知った。今回はその事について書こうと思う。

私は以前から清水玲子の描く端正で美しい絵や、読者の心を揺さぶる台詞回し、何処か脆く危ういキャラクター、スケールの大きな世界観やストーリーが好きだったけれど、一方で苦手な気持ちもあった。それは例えばどういう処に対してかというと、特に『輝夜姫』のまゆの描き方なんかがそうなのだが、兎に角キャラに対して冷たいのだ。徹底的に不幸な目に遭わせるし、修復不可能な傷を負わせたり、また『秘密』の薪の様に、本人が納得して居たとしてもどう考えたって幸せには見えない、という様な事もある。
私は大団円的なエンディングが嫌いだし、キャラがみんな傷を癒す安易なハッピーエンドは大嫌いだ。それだったらいっそみんな死んでくれ、とすら思う。作者がキャラクターを突き放す度合いは、その作品の完成度の高さの一つの指標だと思って居る位だ。だがそんな私でも、清水玲子はキャラクターに冷たすぎる、と感じる事がある。あれだけキャラの内面や情念を微細に描けるのならば、それ程までにキャラクターに肉を与えているのならば、彼等を幸せにしてやってくれ!清水玲子は読者にそう思わせる力がある。それ程までの、人間としての厚みがあり、しかも彼・彼女を見舞う悲劇に憤りと悲しみを覚えざるを得ないキャラクター――なかなか居ない。あの皇昴流ですら、無条件に「幸せしてやってくれ」とは思えない。幸せにしてやって欲しいと思わせる程のキャラへの冷徹さ・残酷さ、以前は苦手に思って居たけれど、見事だなあと素直に思う様になった。本当は、しようと思えば幸せに出来るのだろう。そういうストーリーだって編めるのだろう。だが彼女は絶対にそれをしない。そういうご都合主義を、作品から悉く排除して居る。
以前Tumblrの定点観測の方で、「清水玲子は美しいものは美しい、醜いものは醜い」とずばっと描く作家だと書いた気がする。これは幸不幸に関してもそうで、「幸せの中にも小さな悲しみが……」とか「辛いけど、ちょっとした安らぎもある」みたいな「逃げ」は絶対に打たないのだ。古傷は、癒えたとしても痛む。喪ったものは、どれだけ求めても戻らない。醜い者は、その醜さに見合った絶望に見舞われる。美しい者は、その美しさに見合った苦難に見舞われる。そこには情状酌量の余地など無い。その冷たさが、作品に独特の冴えと絶望感を与えている。『月の子』のセツとショナが生き残る未来なんて描かない。『秘密』の薪が過去を清算して家庭を築く未来なんて描かない。『竜の眠る星』のジャックとエレナを安易なロミジュリにもしない。そういった冷たさは、読者の「暖かさへの欲求」を掻き立てるし、またそれが叶えられなくて読者は涙を流す。そういう意味で、清水玲子作品は冷たいのにとてもエモーショナルだと感じる(いや実際めっちゃエモーショナルだよ。読んでみ)。

それと、『竜の眠る星』の「母親に殺される位なら自分から母親の為に死ぬ」というテーマ、『輝夜姫』の「どんなに憎くても殺してはいけない。憎しみを連鎖させてはならない」というテーマ、この二つが『秘密』で合流しているのだと感じた。『秘密』に於ける犯罪者の多くは、復讐に駆られて居たり、生きる事の困難さに耐えられなくなったりして殺人を犯す。どんなにそれが辛い事であったとしても、それでも、殺人は罪なのだ。清水玲子の描く物語は、それをまざまざと伝えて居る。(単行本一冊完結の『深淵 Deep Water』はまたちょっと逆をいく感じだけど)殺す位なら殺される方が良い、という考え方が清水玲子作品には多分通奏低音の様に流れて居て、それが碧の様な(そしてまた薪の様な)キャラを生むのだろうと思う。
私はいつも、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出す」という事を最終的には良しとする作品を見る度に、本当にそおかあ?と思ってしまう人間だし、CLAMP作品って本当に稀有だなあと思ってしまう(突然のCLAMP上げ……)が、清水玲子作品に唸らされる所は、その理由が「憎しみは絶対に連鎖させてはいけないから」というものだからなのである。自分が犠牲になりさえすれば、憎しみはここで終わる。自分が命を失う理由がここにある、という物凄く悲壮な信念が、モニークや碧(もしかしたら薪にも)にはあるし、作品の中で主人公の心を強く打つのも、また彼等の言葉だったりするのである。

……Tumblrの方で、清水玲子の作品は伏線回収とかイマイチって書いたけど、『竜の眠る星』がめっちゃくちゃ杜撰だったので、スケール大きい(大風呂敷とは違う)のとストーリーが頑丈なのとはまた別種だなという感じがしました。清水玲子作品の真骨頂は、キャラクターの情念の描き方であって、決してストーリーでは無い……と思う。情念というのはその場面その場面での感情の爆発とか鬱屈とかな訳だけれど、えてして少女漫画はそこの部分をモノローグに頼る傾向にあって何だかな、という感じなのですが、清水作品の凄い所は、情念が表情とか、セリフとか、或いは例えば手の握り方とか、そういったもので本当に細密に、これでもかと描く所なんだと思う。薪さんの挙措にドキドキできるというのはきっとそういう事なんだ。彼の中に鬱積しているパトスが見える瞬間、私達は言いようも無くドキドキする。セツのうっすらとした悲しみを見る度、それが「うっすら」として居る事で却って私達の悲しみは深まる。それをモノローグだけじゃなくて、絵から、セリフから見せるというのは本当に凄い事なんじゃないかな、と感じました。

(追記)
『深淵 Deep Water』読んだのですが、『秘密』をより社会派にした感じで、どちらかというと最早法律について考えさせられる内容だった。でもやっぱり清水さんは冷酷で、「殺したから殺されそうになるし、自分の所為で犠牲になる人も出てしまった」って感じの少女と、「殺されたから殺し返したら、社会から鉄槌が下り地獄は続いた」って感じの少女しか描いてなくて(いやもちろん高比良さん描いてるけど)、本当に殺したら絶対に幸せなんて無いんだね!!!って厳しさを感じました。その作風嫌いでは無い。でも辛い。北都ちゃんの「人を愛しちゃいけない人なんていないんだよ」とは決定的に違う感じがする。

(2016年5月24日)

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