日本社会の加害者性とメトニミー――『月に吠えらんねえ』を読んで

清家雪子『月に吠えらんねえ』を読みました。凄まじい作品だった。
Twitterでも散々呟いているのですが、思った事は大きく三つ。

1.虐待の被害者でありサバイバーでもあり、同時に虐待の加害者・再生産者でもあった萩原朔太郎を、被害者・サバイバーとしての姿で(加害者性を無理なく排除した形で)救ってくれる奇跡の様な作品だった。

2.近代日本文学に於ける第二次大戦とは何なのか考えさせられる。また、近代日本文学を遺産として受け継ぐ現代日本人は、戦争礼賛=悪、戦争反対=善、という図式を問い直せるような社会を構築する義務があると思った。大政翼賛的な作品を作家の事績や全集から抹消する事は全く善ではない。しかし、それについて捉え直しや語り直しを行うには、まずはこの現代社会自体から見つめ直し、構築し直さなくてはならない、と感じた。

3.前述の1と2にも密接に関わるが、作家の人生に逆らう様な物語や、実際の作家が身を置いた環境には起こりえなかったifのエピソードを描き、それによって救済や社会への問い掛けといったものを描くといった点から、擬人化でしか到達出来ない境地を切り拓いた作品だった。

1と3については割とTwitterで叫びまくったので、2についてここで書いておきたいと思います(実を言うと1についても、萩原葉子の父としての萩原朔太郎という点から、あれこれ書きたいなあとも思うのですが、ひとまずそれは余力があれば、という事で……)。

どうして、第二次大戦や太平洋戦争、という話題になると、私は緘黙してしまうのだろう。より広く取って、日本の植民地政策だとか、戦前の日本とアジアについて、といった事柄についてもそうだ。
重い話だから、というのもあるだろう。複雑な話だから、というのも。けれどそれだけではない、直視したくない、という気持ちがある。どうして? 上手く答えられない。直視すると、何だか気まずい。自分が日本人だから、責められている気がするの? そうかもしれない。罪悪感が湧くの? そうかもしれない。そうかもしれないけれど、それも何か、何かちょっとズレている気もする。
こうしたモヤモヤとした何かがあるせいで、ずっと近代史に近寄らなかった。重いし怖い。現代に直結しているという事が私を臆病にさせたし、近代人だった人が生きている事が私を竦ませた。

私も、日本の近代に――特に戦前や戦中という時期に蓋をして過ごしていた一人だった。私「も」と言ったのは、そういう現代日本人(日本国籍を持つ現代人)は非常に多いと想像するからだ。私もそうだった。けれど、段々揺さぶられるようになった。それは何故かというと、大学で中国学を学んだからだ……と思う。私が専攻したのは古代思想ではあったけれど、古代について述べる近世・近代の人々の文章を否が応でも読む事になった。現代中文への関心も生まれた。台北に短期留学もした。――その過程で、温又柔という作家を知った。就職をしたら、今度は日本語について、私自身の言葉で説明する必要が出て来た。「母国語」という言葉の残酷さを考えるようにもなった。
うんと周辺から、うんと遠回りして、少しずつ、にじり寄る様にして、アジアの近代に近寄っていった。其処にはきつく蓋がされている。その感覚がある。蓋を開けたくない、と常に自分が言う。けれど、少しずつ少しずつ、開けるようにしている。直視したくない何かを、根気よく、馬鹿みたいに慎重に。

今回、清家雪子『月に吠えらんねえ』を読んで、地獄の釜の蓋が開いた、と思った。一瞬、自分の中にあるあの蓋、近代に封をしていた蓋が、がぱっと音を立てて開いた。中は真っ暗だった。けれど其処から、うじゃうじゃと、様々なものが飛び出した。私は急いで蓋を閉めた。怖かった。けれど、飛び出したものは、一度飛び出してしまったからには、消えはしなかった。それは死体であり、血であり、暴力であり、搾取であり、涙であり、命であり、摩滅だった。
飛び出して来たもの達のお蔭で、今まで読んでも「分からなかった」ものが、分かるようになった。その「分からなかった」は、もしかしたら「分かる事を拒んでいた」という事なのかもしれない。その、「分からなかった」けれど分かる様になった物事を、此処に整理して書いてみようと思う。

石原吉郎という詩人がいる。所謂シベリア抑留の経験に基づいた作品を書いた詩人である。読もう、と思って読まずにいた。フランクル『夜と霧』は読めたのに、石原吉郎の詩と散文を読むのは気が重くて、積んでいた。
『月に吠えらんねえ』を読んで、石原吉郎を読む時が来た! と思った。今なら読める、とも。あの蓋の中の真っ暗な場所から這い出てきたもの達を知る為に、読まねばならぬと思った。

石原吉郎の散文「ペシミストの勇気について」の中に、こんな記述がある。

バム地帯での追いつめられた状況のなかで、鹿野をもっとも苦しめたのは、自動小銃にかこまれた行進に端的に象徴される、加害と被害の同在という現実であったと私は考える。そして、誰もがただ自分が生きのこることしか考えられない状況のなかで、このようないたましい同在をはっきり見すえるためにも、ペシミストとしての明晰さを彼は必要としたのである。
おそらく加害と被害が対置される場では、被害者は〈集団としての存在〉でしかない。被害においてついに自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝動。被害の名における加害的発想。集団であるがゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。しかし加害の側へ押しやられる者は、加害において単独となる危機にたえまなくさらされているのである。人が加害の場に立つとき、彼はつねに疎外と孤独により近い位置にある。そしてついに一人の加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなかから生まれる。被害者のなかからは生まれない。人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である。
私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動のなかで、確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、ただ一人集団を立去って行くその〈うしろ姿〉である。問題はつねに、一人の人間の単独な姿にかかっている。ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。ただひとつの、たどりついた勇気の証しである。

「ペシミストの勇気」『石原吉郎詩文集』2005年 講談社

上記はラーゲリ内に於ける被害者と加害者に関する文章だが、しかしこれをもう少し普遍的なものへと当てはめてみると、正に現代日本人の、近代に対する態度そのものである様に私には感じられる。第二次大戦に於ける日本には、加害者の立場と被害者の立場が共存している。加害者の立場とは、勿論アジア諸国に対する制圧者の立場であり、また或いは国内全体を全体主義で飲み込んでいった政治家や軍部の立場である。一方で被害者の立場とは、被爆者の立場であり、空襲を受けた人々の立場であり、全体主義に巻き込まれていった人々の立場である。

この二種類の立場の内、現代における戦争についてのナラティヴの殆どが、一方——被害者の立場に偏っている。本土の民衆の立場に立って「悲惨であった」と語るものがそれだ。そこでは朝鮮半島や台湾や東南アジアの人々――植民地の人々の語りは排除される。日本の当時の政治家達や天皇の語りも排除される。もっと言うのならば、戦闘があった沖縄の人々の語りも容易に排除される。戦争に対して「私達」は無辜であった事、それでありながら戦争は「起きてしまい」、「悲惨だった」という被害者性ばかりが強調される。そんなナラティヴが溢れ返っている。

戦後の日本で 戦時中の詩歌を見直そう 良いものもあるのでは と拾遺を試みた時 秀作と認定され 拾い上げられるのは
戦争の酷さ悲しさへの 詠嘆が主を占めているものに 限られるでしょう
戦争に関する表現として そういうものしか 受け入れられないという 情緒ありきの評価です
嬉々として戦勝を喜び 日本万歳と書き散らした 詩人の事実が抹消され 非戦的なものだけが 残されるとすれば 詩人に対する評価も 曲がってしまう

清家雪子『月に吠えらんねえ 11巻』第五十九話 我ら戦争に敗れたあとに 2019年 講談社

『月に吠えらんねえ』のラスト近くでミヨシが述べるような「戦争の酷さ悲しさへの 詠嘆が主を占めているもの」ばかりを肯定してきた結果が、現代日本だ。結局は被害者意識ばかりが膨れ、自分達の社会(の以前の姿)が近代において加害者だった事実は顧みられない。

とはいえ、戦争責任とは難しい問題だ。私もこれについて述べられる様な知識を持たない。『月に吠えらんねえ』の中でも、翼賛詩の評価や作家の戦争責任を巡って、様々な議論が交わされる。最終的に、『月に吠えらんねえ』の中では、翼賛詩について以下の様な決着となる。

時が経ち 後の世の 芸術の価値も変わり
俺たちが 抹消した 縊死体 詩人たちも 歴史から 芸術へと場を移して
賛美も否定も超えた
違った受け止め方を できる日が来るのかも しれない

清家雪子『月に吠えらんねえ 11巻』第六十一話 日本 2019年 講談社

これは未来への祈りだ。私達現代人は、この様に愛国と敗戦という矛盾を身中に抱えて、にっちもさっちもいかなくなった近代人から祈られる存在なのだ。
私達が近代文学に対して出来る事は何だろう、と思う。私達には直接的な戦争責任は存在しない。けれど、彼等にはあった(と私は思う)。何故なら、彼等は大日本帝国の市民だったから。当時の日本という社会の構成員であったから。そして作家の多くは男性であり、選挙権があったから。どの程度の重みかはともかくとして、全くの無罪だったとは言えない。彼等にも、直接的な戦争責任はあった。(8/30 と書いているのですが、戦争責任というものに関する理解が足りていない自覚があります。家永三郎『戦争責任』をこれから読もうとしているところです。)その責任をずっしりと負いながら、戦争を経験として捉えざるを得ない人々が、限界に歯噛みをしながら未来に対して叫んだ祈りに、私達はどう答えれば良いのだろう。――それが、私が『月に吠えらんねえ』を読んで考えた一番大きな事だ。

私達は現代日本社会の構成員として、戦争を再び起こさない責任を果たしているといえるだろうか? より善い社会を作ろうとしているだろうか? 翻って言えば、戦争の様な惨禍、加害者と被害者が生まれてしまう場を作らない努力をしているだろうか? 否だろう、否でしかないだろう。私は戦争について無知だ。戦争について語れない。語る言葉が無い。私は近代について良く分からない。近付きたくない。そしてそんな私は、日本社会に於いて特段際だった存在ではない。――寧ろ、語ろうと意識している方ですらあるかもしれない。それは『月に吠えらんねえ 3巻』第十五話で石川が出会った現代の女性の発言からも明らかだろう。幾分カリカチュアライズ(和製英語 許して)されているとはいえ、こうした意識の現代日本人は少なくない。

近代日本に於ける戦争、植民地、アジア諸国との関係……そうした問題に、直接的な戦争責任を持たない世代の人間が蓋をしてしまうのは何故なのだろう。私達は何故蓋をしてしまう? そんな事も考える。
また、『石原吉郎詩文集』を読んでいた。すると佐々木幹郎の「解説」に、以下の様な言葉が見えた。

石原吉郎の詩の特徴のひとつに、比喩の両極である隠喩(メタファー)と換喩(メトニミー)のうち、換喩によって全体を比喩するということがある。隠喩の軸よりも換喩の軸に偏るという方法をとるのだ。(中略)
ここから放り出され、拒絶されるのは、社会科学や社会思想(政治)の抽象言語である。この詩語の方法からは、他者への告発も、自らを被害者と考えることも成立しない。失語の体験を経た石原吉郎にとって、シベリアで見たもの以外に、代替可能な言語をみつけることができなかったからである。それは別の角度から言えば、石原吉郎の倫理と言ってもよかった。

『石原吉郎詩文集』佐々木幹郎「解説」2005年 講談社

石原吉郎は「語り得ない何か」を表さずして指し示すべく、メトニミーを用いた。それは正に言語を絶する経験であり、失語によって知らざるを得なかった体感、感覚、心身のありようだった。
表せぬものを指し示す事にメトニミーが有効であるという文章を、私は以前にも目にした事があった。そしてそれが、近代日本というテーマに結びつくものなのだという事についても。

……ラカンは無意識そのものをメトニミーとしてとらえました。無意識的なもののあらわれをまえにしたとき、わたしたちは、記号の連鎖によってたらいまわしされるだけで、いつまでたっても中心的な意味に到達できない。しかし、実はソシュールが言語には差異しか存在しないと語ったとき――つまり、言語記号のなかで意味は、記号相互の関係の網の目のなかで、まさに関係性の効果として生まれるだけであって、実体として、あるいは本質として存在しているわけではないと示唆したとき――、言語記号はメトニミー的連鎖としてあらわれていたのです。言語は無意識のように構造化されている。そしてこの無意識とはメトニミー的構造であったのです。

大橋洋一『新文学入門 T.イーグルトン『文学とは何か』を読む』第7講 無意識の発見 1995年 岩波書店

 

戦後の日本文学の歴史を考えてもいいでしょう。すでに触れたことでもあるのですが、そこにおいてひとつのジャンルを形成してもいた十五年戦争や第二次世界大戦の経験を扱った作品群においてだけでなく、戦争とは無関係な文学ジャンルにおいても、アジアの人間と日本人との関係はきわめて希薄なかたちでしか登場していません。歴史的にみてほんとうに希薄な関係しかなかったのなら、それはしかたないことかもしれません。しかし、歴史的にみて強度の濃密な関係がアジアと日本にあったことを考慮すると、戦後の日本文学の歴史のほとんどは、アジアを無視することから成立しているということもできます。もし垂直方向に触手をのばし、メタファー的な読みをするならば、戦後の日本文学のなかにさまざまな本質的な主題群や手法群を取り出せるかもしれませんし、最終的に、それは日本人全体に帰着される何かを見いだすことになるでしょう。けれどもメタファー的読解の陥穽とは、それがメトニミー的読解への回路を遮断してしまうことです。そのような陥穽を回避しつつ、日本の文学の歴史を水平的・空間的――あるいは地理的、そしてあるいはメトニミー的――にとらえてみるとき、アジアについての沈黙が一種異様な光景としてたちあがってきます。そしてそのとき、わたしたちは、戦後の日本文学の無意識としてのアジアをとらえはじめているのです。

同上

私は何に蓋をしていたのだろう。そこに一つの言葉が与えられた。「無意識」。精神分析に於ける無意識だ。無意識はメトニミー的な構造だと大橋洋一は語る。私が他の様々な事について語れるのに、それについて語れないという事。目を逸らしたくなるという事。じりじりと近付く他ないという事。それら全ての意味や原因や理由ではなく、それらが何の周りを回っている輪なのかという事が重要だ。無意識の中には何があるか。無意識の中には見たくないものが入っている、と精神分析では相場が決まっている。そこに名付けは必要ない。「何故?」「どうして?」そうした問いも無意味である。ただ、また矢張りぐるぐるとその周りを回るのだ。ああでもない、こうでもない、ああかもしれない、こうかもしれない……言い換えを繰り返し、じりじりと輪を縮める。そうやって接近していくしかない。嫌になる作業だ。けれど、やるしかない。そこには見たくないものがある。しかし見なくてはならないものだ。私達の住まう社会が過去に有した加害者性、そして現在も有している加害者性が、そこには詰まっているのだ。

どうして見なくてはいけない? 逃げれば良いじゃない? そんな声がする事もある。けれど、私達は過去から祈られた存在なのだ。どうか受け取ってくれ、とバトンを手渡された。重たい、血塗れのバトンだ。けれどそれが少しでも輝くものになる事を願って手渡されたバトンだ。これを捨てる事は私には出来ない。私は日本という社会の構成員として生まれてしまったから。これは現代に残った最後の血の呪いなのかもしれない。私は日本国籍を持つ父と母から生まれ、日本国籍を有している。日本語が第一言語でもある。それゆえに、そこから逃げられない。私には一市民として、この社会をより善いものにする責任がある。戦争を賛美した作品、植民地を肯定した作品、差別と偏見にまみれた作品、その他あらゆる近代の作品を、「戦後」とは別のパラダイムによって解釈し、意味づけする、そういう事が安心して、無理なく行える社会を作っていく責任があると思う。

現代日本社会はそれを行える場か? ――残念ながら、「戦後」からパラダイムシフトは起こっていないだろう。起こっていたとしても、それは戦争を軽視するパラダイムシフトだ。私はそちらには乗りたくない。この社会が歩むべき道は明らかにそちらではない。戦争を重く見て、しかし戦争賛美の作品を生み出した芸術家達を、戦争―善悪の軸とは別の切り口から捉え直す人になれるだろうか? 今すぐにはなれないだろう。ならば私はまだ、「戦後」を生きているという事になる。
まず、社会の構築が先だ。戦争について――近代日本の加害者性について、私達はなかなか語れない。それは私達の、ある意味では集合的無意識に眠らされているものだ。私達はメトニミー的に、盥回しに遭い続ける。ああでもない、こうでもない、本を読んでもなかなかそれそのものに辿り着けない。この疚しさは何? この語りづらさは? この目を逸らしたい感じは何故? ――答えはない。そして答えそのものは、恐らく名付けられない。私達はじりじりと輪を狭めるしかない。こうかもしれない、ああかもしれない。こうじゃない、ああじゃない。そう言って、本を読んで、沢山考えて、調べて……そうやって、迂遠なやり方で接近する事しか出来なくなってしまっている。だから、そうするしかない。
加害者性を引き受けられるようになった時(社会がそれを引き受けられるようになるとはどういう事なのか、私にもまだ分からないけれど)、初めて私達は過去からの祈りに応え始められるだろう。初めて私達は、抹殺した多くの作品、多くの詩歌を本当に読むだろう。そしてきっとまた、嫌な気持ちになるに違いない。けれどそれを拾って、またもう一度作家を捉え直すだろう。絶対に嫌な作業だ。けれどそれをしない事には、現代は終わらない。一つの時代は終わらない。バトンの形を変えられなければ、私達は次に手渡せない。手渡す資格もない。

嫌な感想文だ。「〜しようと思いました」なんて言葉で総括された感想文なんて書きたくない。ずっとそう思っていたし、今尚そうだ。けれど、それ以外に書く事があるだろうか? それ以外に思いつかなかった。この社会を善くしていこうと思いました。——それ以外にない。そうとしか書けない。稚拙な感想文だと思う。私はこんなにも、近代に対して稚拙だ。その悔悟と共に、この稚拙さを、インターネットの海に残しておこうと思う。

 

日本社会の加害者性とメトニミー――『月に吠えらんねえ』を読んで” への2件のフィードバック

  1. 畏れ入りました。石原吉郎さんを読んでみようと思います。実家の亡くなった父の本棚に家永三郎さんの本があったように思います。一読しただけでは理解不充分です。リツイートして頂いた詩人の川口晴美先生に感謝申し上げます。

  2. コメントありがとうございます。気付くのが遅れてしまい失礼致しました。
    稚拙な感想ですが、そう言って頂けて嬉しいです。石原吉郎の詩文集は本当に胸に迫る作品群です……。

葛西朱美 へ返信する コメントをキャンセル

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