朔太郎の担う両義性――虐待の被害と加害、そして救済

書こう書こうと思って書いていなかった、萩原朔太郎の前半生の救済作としての『月に吠えらんねえ』について書きました。

後半生は娘の萩原葉子さんの作品によって赦された朔太郎なのではないかな、と思います。では前半生は?というような内容です。

萩原朔太郎の娘である萩原葉子は、自身の苛酷な前半生を小説にすることで生き抜いた作家だ。苛酷な前半生とは、すなわち父母によるネグレクトに始まり、父方の祖母や叔母による虐待、夫からの家庭内暴力などの経験し、小説を書くことを覚えて経済的・精神的に自立するまでを指す。これらのエピソードは『蕁麻の家』『閉ざされた庭』『輪廻の暦』の『蕁麻の家 三部作』にまとめられている。

自身の生い立ちと人生を描く小説は、三部作の完成によって一旦収まるが、遺作として刊行された『朔太郎とおだまきの花』では父・朔太郎の幼い頃の話に始まり、母・イネ子から見た朔太郎との結婚生活、自身が独り立ちした後に妹・明子やイネ子を引き取り、共に暮らしたことのあれやこれやが、半ば回想として、また半ば朔太郎へ訴えるような形で描かれている。

萩原朔太郎という詩人の作品なり人生なりを眺めた時、彼が常に何かに対する疎外感を抱えていたのだ、と思わずにはいられないのだが、その疎外感とはすなわち、家族という最小の共同体の中ですら居場所がない、上手くやっていけないという疎外感であり、それが今少し拡大して前橋という閉鎖的な地方都市の「社会」でも、やはり身の置き所が無く上手くやっていけないという疎外感であっただろうと思う。

利根川のほとり
きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。
萩原朔太郎『純情小曲集』青空文庫

 

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰鬱にする、
むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、
ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。
萩原朔太郎『月に吠える』「さびしい人格」青空文庫

萩原葉子は『朔太郎とおだまきの花』の中で、朔太郎の疎外感の理由の一つに、父・密蔵と母・ケイの現実的でタフな性格や気質と、朔太郎の夢想家で繊細な気質とが余りにもかけ離れていた事、またそうした息子の性格や気質への無理解を理由に、今日的に見ると虐待と言って差し支えないようなことが、密蔵から朔太郎に対して繰り返し行われた事を描いている。幼児の朔太郎に人体の解剖を見せたこと、それによって高熱を出した息子をひ弱すぎると思い腹を立てたこと、高校へ行きたがらない朔太郎に「ピストルで撃つしかない」と脅したことなどがそれだ。
母・ケイからの扱いは密蔵ほどストレートに「虐待」と呼べるものではないにしても、朔太郎の内面や詩作についての無理解と無関心は密蔵と同じ様なものだったらしい。萩原葉子は、そうした社会的にうだつの上がらない長男へ半ば苛立ち半ば諦めるようなケイの心境や、苛立ちの「原因」を嫁であったイネ子に求め、その娘である葉子を虐待する、という家庭内の歪な構造を『蕁麻の家』で克明に描いている。

萩原朔太郎は、家庭内暴力や虐待のサバイバーとして詩を書いた。少なくともそういう一面がある。だが同時に、彼は虐待やネグレクトによる加害者でもあった。朔太郎は仕方なく結婚したイネ子や結果とした生まれた娘二人に対して関心を持たず、寧ろ怯えるようにして過ごした。イネ子が恋人を作り家庭を顧みなくなってからは、葉子と明子はただひたすらに放置され続けた。

母が、いつものように化粧していると、玄関から父が帰って来た。M男は、庭から入って来るので、かち合うことはないのだった。
「お父さま、明子が熱あるの」と、私は言った。
「余計なこと、言わなくていいのよ」と、母が言ったが、父は襖を開けて見ようともしないで、そのまま二階への階段を昇って行った。
それからまた幾日も父は、帰って来なかった。妹の熱は、下がらない。母は、雨戸を一枚開けてトウカン森の方へ行ってしまい、家は二人の子供だけの日がつづくようになった。
「ヨイヤミ、セマメバ……」と、明子は唄い出した。「ナヤミワ、ハテナシ……」
「唄なんか止めて、静かに眠るのよ」と言うと、「クチビル、アテネド……」と、さらに大声で唄うので、私は、びっくりして妹の顔を見ると、白目を剝いて、ぶるぶるふるえている。
「明子!!」と呼んでも、宙を見つめている眼は、動かないのである。
(萩原葉子『朔太郎とおだまきの花』「第一部 父と詩」6 新潮社・2005年)

上記のことが原因で、次女の明子は脳膜炎の後遺症で知的障害を負った。その後朔太郎がイネ子と離婚し、前橋の実家へと引き上げてからは、葉子と明子の身には祖母・ケイや叔母達からの執拗な虐待が降りかかるが、朔太郎はこれについても背を向け続けた。朔太郎死後の全集の出版や印税に関するごたごたは、こうした家族内の根本的に歪な構造、家庭内不和に遠因がある(と、萩原葉子は書いている)。
朔太郎が娘の養育に対して無関心を貫いた理由の一つに、幼い頃から常に自分に対して無理解を貫いている母親と対峙できなかった、したくなかったという背景があるだろうし、また娘達に対するそもそもの無関心や、娘の背後に見えるイネ子への怯えもあっただろう。また或いは、娘と向き合おうにも向き合い方が分からなかったという面もあったに違いない。だがともかく、父親として余りに無責任な態度であった事は確かだ。そんな責任は最初から負えないような人間であった、と言えばその通りだろうが(そしてその事を萩原葉子自身が認めてすらいるが)、萩原朔太郎は虐待のサバイバーでありつつも、虐待の再生産者でもあったのだ、という事実は揺るがないだろう。

萩原朔太郎の詩の読者は、以上の様な朔太郎の人生についてどう感じているのだろう。私は少なくとも、前半生の苦悩が後半生に於いて別の形で軛となるその生き方に、非常に同情もし、また怒りもした。萩原葉子がそれでも尚、朔太郎に対して「悪い父親じゃない」と思い続けている気配がある事に、複雑な気持ちにもなった(葉子の息子の萩原朔美も著書の中で、葉子が森茉莉と共に、父親がいかに素晴らしいかについて語り合っていたと述べている)。
朔太郎が超えようとして超えられなかった「壁」は多面的である。清家雪子『月に吠えらんねえ』ではそれを、近代人の壁、「個人」として生きることの壁として描いた。それは日本近代文学史に於いて直球の、いわば正統派の「壁」理解であるだろう。だが、それは別の角度からも語り得る。親から子、子が長じてまた次の子へと続いてしまう、不幸の連鎖――虐待の連鎖を食い止められなかったという「壁」でもあるのだ。社会において「個人」として生きられないということは、即ち家庭内において「家」という共同体の因縁を断ち切れないということとも連動する。自分自身を独立峰として見做し切れない中途半端な自我と、女性を客体化しつつも女性に生活の面で依存すること、家庭の建設的な構築に主体的に取り組めないこととは、それぞれ関連がある。

ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
おれはかわいさうな雲雀の巣をながめた。
巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも毬のやうにふくらんだ。
いとけなく育くまれるものの愛に媚びる感覚が、あきらかにおれの心にかんじられた。
おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。
おれはまた親鳥のやうに頸をのばして巣の中をのぞいた。
巣の中は夕暮どきの光線のやうに、うすぼんやりとしてくらかつた。
かぼそい植物の繊毛に触れるやうな、たとへやうもなく DELICATE の哀傷が、影のやうに神経の末梢をかすめて行つた。
巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。
わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。
生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。
死にかかつた犬をみるときのやうな歯がゆい感覚が、おれの心の底にわきあがつた。
かういふときの人間の感覚の生ぬるい不快さから惨虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。
おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。
うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。
つめたい汁のやうなものが感じられた、
そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液体がじくじくと流れてゐるのをかんじた。
卵がやぶれた、
野蛮な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。
鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた。

いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。
その可愛らしいくちばしから造つた巣、一所けんめいでやつた小動物の仕事、愛すべき本能のあらはれ。
いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。
おれは卵をやぶつた。
愛と悦びとを殺して悲しみと呪ひとにみちた仕事をした。
くらい不愉快なおこなひをした。
おれは陰鬱な顔をして地面をながめつめた。
地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいてゐた。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
なまぐさい春のにほひがする。
おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。
人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。
人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。
あるとき人間が馬のやうに見えること。
人間が人間の愛にうらぎりすること。
人間が人間をきらふこと。

ならば利根川に身を投げようとした朔太郎、雲雀の卵を破った朔太郎、父に脅され、母に拒絶され、家の外では嘲笑され、常に大小様々な傷を心に負って、ただ詩歌だけを抱えて生き延びようとした朔太郎は、救えないのか? その苦しみすら、「父親としての朔太郎」の犯した罪によって相対化されてしまうのだろうか?
『月に吠える』を読む度に感じていたその感覚――作家の内面という真実と、作家の人生との間にあるズレへの、何とも言えない苦い感覚――を、清家雪子は掬い上げた。私はそんな風に思っている。
『月に吠えらんねえ』を最初に読んだ時、これは若き日の朔太郎、即ち虐待の被害者でしかなかった頃の朔太郎を救済する物語でもあるのだ、と思った。擬人化による実在の人物としての作家やその家族の捨象、萩原朔太郎の詩と北原白秋の詩との交流・往還に永遠性を付与するという作品の結末、近代を繰り返し続けるという作品の枠組みから言っても、朔太郎の次世代の物語は『月吠え』には描かれ得ない。萩原葉子の言葉は、ただ三好達治と朔太郎の妹・アイとの関係性の出典として見えるだけで、「朔太郎の妹」程の影も、そこには存在しない。存在しないからこそ、白との間に芽生えた愛情を、幸福な形で理解する朔を描くことが出来る。そこには、「if」だから、擬人化だから描ける幻想の救済がある。

萩原葉子は朔太郎の『氷島』について、こんな事を述べている。

お父さまは、あんな大きな眼をしていても現実は見えなかったのでしょうか。(中略)詩集「氷島」に、その時の「母なき子供等は眠り泣き ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。」と、ありますが、憂愁などと言う生やさしい現実ではありませんでした。汽車の中で子供心に、これから起こる怖い世界を感じていたのです。ポーッと鳴る汽笛は私の泣き声でした。母の狂った恋の犠牲で妹は智恵遅れの身となったのですが、「お母さま、お母さま」と、オシャブリを咥えて泣きました。三人は前橋駅で降りると、人力車で祖父母の家に向かいました。「厄介者の居候を二人も連れて来て」と、日本髪の祖母は私を睨みました。「キタナイ」と、バケツで足を洗わされると、そのまま二階へ連れて行かれ、食事もなく空腹のまま、蒲団の中へ押し込められました。
(中略)
お父さまは詩人としては、偉いかも知れませんが、現実に生きる人としては落第です。
それに悪いけど、例の母なき子供等の詩の入った「氷島」は、いただけないです。私たちのことには眼を向けず、女房に裏切られ、また故郷の人に冷たい眼で見られ、人生に敗北したというのが、全体の内容ですが、詩だから仕方なくても、具体性が乏しく、「青猫」等のように感性で書いた詩の方が父上に合っていると思います。
(萩原葉子『蕁麻の家 三部作』「歳月――父・朔太郎への手紙」新潮社・1998年)

詩材として以外は、父親に関心を払われなかった娘。その娘の自我が、長じるに及んで亡父に突きつける言葉として、『氷島』が繰り返し登場する。萩原葉子にとって『氷島』は自分達娘や、妻から目を逸らし続ける事で書かれた詩集なのである。三好達治がその口語自由詩から後退した作風を理由に『氷島』を評価しなかったのとはまた別の角度から、葉子は父の最後の詩集を非難する。
『月に吠えらんねえ』においても『氷島』の用いられ方は特殊である。第六十二話「氷島」で、朔が白と別れた後、犀に殺される為に訪れる場所が、正に『氷島』的場所だ。「詩の生まれるところ」「孤絶の瞬間」という言葉で説明されるその場所は、オーロラの空にかかる極北の海、正に氷の島が浮かぶ寒々しい世界である。
白と別れた後に至るのが氷島であるという解釈に、私は興味深いものを感じる。『月吠え』で最終的に救済された朔と白という恋人同士は、正に『月に吠える』の頃の朔太郎の詩と、それに序を寄せた頃の白秋の詩だ。二人はまだ若く、恋こそしても家庭を持つ気配もなく、まだ次の世代に対して何の功罪もありはしなかった。彼等は若さの儘に詩を作った。その頃の朔太郎の「孤絶の瞬間」は、妻や娘に背を向けるような性質のものではなく、ただ両親や周囲の無理解から我が身を防衛するものとしてだけ存在した。『月吠え』で白と結ばれる朔は、娘から眼を逸らして「孤絶の瞬間」に凭れようとした男(の詩)ではない。ネグレクトした挙げ句に娘を詩材とし、そこから人生の敗北を嘯いた男(の詩)でもない。そういう男へと至る可能性を持ちつつも、そこへ未だ至らざる青年としての朔太郎の残り香を、『月吠え』は救済しているのだろうと思う。

親から子へ、子から更に孫へと続く家の因習と暴力。萩原葉子は、それを自ら断ち切ろうとして足掻いた。その足掻きは、父・朔太郎にはとうてい求めようもないタフネスに満ち溢れている。

私は、永遠に祖母の言う、いらない存在の虫ケラ以下の人間にすぎないのか。いいえ、いまの私は負け犬ではありません。虫ケラ以下でも居候でもありません。歪んだ半生を見返すために文学という仕事で頑張って生きています。
室生犀星が「父・萩原朔太郎」のあとがきに「葉子、これらの小説風な文章というものが、君のお父さんには書こうとして心がけていて書けなかった物だ」と書いてくれて、満更ダメでもないと、思ってます。もともとノートに感想文を書いていたくらいですから、書くことは嫌いではないのです。仕事で多忙を極めている時も苦しくありません。愛されて育ってきたのでは、書くことがなかったので、いまでは祖母にも感謝しているのです。
(萩原葉子『蕁麻の家 三部作』「歳月――父・朔太郎への手紙」新潮社・1998年)

父親としての――加害者としての朔太郎が残していった負の連鎖は、娘の葉子が断ち切った。それこそが、彼女の文学の核心でもあっただろう。
では、被害者としての朔太郎は? ――それこそ白と共に、安らかな表情で眠っているのではないだろうか。

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