『魔道祖師』・『陳情令』の固有名詞から中国古典を辿る①姑蘇藍氏

『魔道祖師』・『陳情令』の人物名や剣名は、本人や持ち主の性格、人生、運命などを象徴している場合が多く、物語的に非常に含みのあるものだ、という意見をTwitterなどで度々目にします。また、それらが様々な典拠を持ち、作品世界に厚みを持たせている、とも。

せっかく『陳情令』で沼ぽちゃした身ですし、日本語訳版『魔道祖師』読者の平均よりは中国古典に詳しいと思いますので、作中の固有名詞から中国古典を辿る記事を書いてみようかと思い立ちました。
(中国語圏で既に似たような、そして更に高精度の記事がありそうに思いますが、まあ良いのです。私が勉強と楽しみの為に書いています。)

今回扱う語は、作中の人名・アイテム名・地名、その他作中で特異な言い回しがなされている言葉です。人名には字や号を含めます。
この記事では由来や典拠を探りつつ、その語が古典世界でどのような印象をもって使われている言葉なのか、直接的な語義の他にコノテーションにも注目して調べてみたいと思います。

今回はひとまず姑蘇藍氏に絞って記事を書……こうとしています(調べ物が多すぎて、工事中だけど公開することにしました)。調べ物が順調に進めば、二回、三回と続けていきたいと思っています……(がんばる)。

以下に続きます。

目次

はじめに
調査方法
凡例
工具書

姑蘇藍氏の固有名詞から中国古典を辿る
一、雲深不知處
雲深不知處(典拠有)
寒室(熟語)
静室(熟語)
蘭室(典拠有)(熟語)
雅室
冥室(熟語)

二、藍渙

曦臣
裂冰
朔月(熟語)
澤蕪君・青蘅君(典拠有)

三、藍湛

忘機(熟語)
含光君(典拠有)
避塵(熟語)

四、藍啓仁

五、藍願
願・苑
思追

六、藍景儀

 

 

はじめに

執筆方針

『魔道祖師』・『陳情令』の作中に登場する固有名詞の典拠や用例、熟語としての意味、字義などを調べることで、その語がどのように古典世界と関係しているのかを、日本語話者にも分かる形で示したい。また、典拠・用例・熟語としての語義・字義を調査することで、語の有するコノテーションも示していきたい。

 

調査方法

1.一字の名称については字義を調べる。また、関連する他の名称との関係を確認する。
2.二字の名称については、以下の順序で語義・出典・用例を調査する。
①熟語としての語義を調べる。熟語の場合は、典拠が明らかであればそれを示し、典拠がない場合、必要であれば用例を示す。
②熟語でない場合は、古典の中で両字を用いてどんな場面や物事が表現されているかを調べる。
③二字の順序が反転した熟語が存在する場合は、反転前と同義になるかを見当する。同義にならなくとも参考として示す。

 

凡例

・典拠のある語については、項目名の横に(典拠有)と明記する。
・熟語となっている語については、項目名の横に(熟語)と明記する。
・語順を反転させた熟語があったり、作中の関連する語との組み合わせで熟語が存在した場合は、「参考」の項目に詳細を記す。
・語義や字義の確認のため、最初に辞書の説明を引用をする。中文で書かれた辞書の場合は、日本語訳をする。

・典拠はなく、熟してもいない語の場合は、以下のような基準で用例を引く。
①探し得る限り、もっとも古い用例。もしくは有名な用例、歴史的に権威を有していた書物における用例。
②『魔道祖師』・『陳情令』の作中における近縁の語と共に用いられているか、近しい情景、類似した雰囲気に用いられている用例。
③難解ではない用例。

・典拠や用例については、可能な限り訓読文(書き下し文)と日本語訳を付す。ただし信頼できる訳本が閲覧できる場合は、そちらから訓読文や訳文を引用する。それらがなく、筆者(ほしなみ)も読めない場合はその旨を記す。
・用例の取捨選択について、あるいは補足情報については適宜筆者がコメントを記す。また、参考資料があれば項目末に提示する。

 

工具書

辞書類
・三省堂『漢辞海 第三版』
・漢語大詞典出版社『漢語大詞典』
・小学館『中日辞典 第三版』
・商務印書館『辞源 修訂本』
・中華民国教育部国語推行委員会編『重編國語辭典』

データベース類
寒泉(台灣師大圖書館古典文獻全文檢索資料庫)
中國哲學書電子化計劃
维基文库
漢籍リポジトリ
中國歷代人物傳記資料

 

姑蘇藍氏の固有名詞から中国古典を辿る

一、雲深不知處

雲深不知處(典拠有)

出典①
尋隱者不遇(孫革訪羊尊師詩) 賈島
松下問童子 言師採藥去
只在此山中 雲深不知處

訓読
隠者を尋ぬるも遇はず(孫革「羊尊師を訪ぬる詩」) 賈島
松の下童子に問ふ 師は藥を採りに去くと言ふ
只此の山中に在るも 雲深くして處を知らず

日本語訳
隠者を尋ねたが会えなかった(あるいは孫革「羊尊師を訪問した詩」とも伝わる) 賈島
松の木の下で童子に(隠者の行方を)問うた 先生は藥を採りに行かれました
この山の中にいるのだろうが 雲が深くて何処にいるのか分からない

語釈
賈島 七七九—八四三 中唐の詩人。字あざなは閬仙あるいは浪仙。出家して無本と号したが、韓愈に才を認められて還俗した。官にちなみ賈長江とも。詩作に苦吟を重ねたことで有名。(『漢辞海』)

補足
そのものズバリ「雲深不知處」の語が見える詩。隠者の居場所を示す語であり、またこの詩自体も隠者の住まいをよむもの。『魔道祖師』第四章の冒頭で描写されている雲深不知處の情景と、明確に連動している。

出典②
遊襄陽懷孟浩然  白居易
楚山碧巖巖 漢水碧湯湯
秀氣結成象 孟氏之文章
今我諷遺文 思人至其鄉
清風無人繼 日暮空襄陽
南望鹿門山 藹若有餘芳
舊隱不知處 雲深樹蒼蒼

訓読
襄陽に遊びて孟浩然を懷ふ  白居易
楚山は碧にして巖巖 漢水は碧にして湯湯
秀氣は結びて象を成すは 孟氏の文章なり
今我遺文を諷して 人を思ひて其の鄉に至る
清風、人の繼ぐこと無く 日暮、襄陽を空しゅうす
南のかた鹿門山を望み 藹として餘芳有るがごとし
舊隱、處を知らず 雲深くして樹は蒼蒼たり

日本語訳
(旅で)襄陽を訪れて孟浩然に思いを巡らせる 白居易
楚山は青々として高く険しく 漢水もま青く水はどんどんと流れてゆく
優れた気性が凝結して形をなしたのが 孟浩然の文章だ
今私は彼の遺した文章を諳んじて 彼を思ってその故郷に来た
清らかな風が吹いているけれど、誰も彼の後を継ぐ人はなく 日暮れの時、襄陽は空っぽになっている
南の鹿門山を望めば 木々が茂って死後にも香しい名誉があるかのようだ
昔の隠者の居場所は分からず 雲は深く、木々は鬱蒼と生い茂る

語釈
白居易 772~846 中唐の詩人。字あざなは楽天。号は酔吟先生、香山居士。白香山。(中略)詩は平明で、とくに新楽府という新しい詩体で政治や社会を鋭く批判する風諭詩を得意とした。親交のあった元稹との唱和詩も多く、元白体と呼ばれる。(『漢辞海』)
孟浩然 689~740 盛唐の詩人。名が浩で字あざなが浩然、あるいは名も字も浩然ともいわれる。王維、韋応物、柳宗元とともに田園詩人と称される。(『漢辞海』)
襄陽 現在の湖北省襄樊市の一部。漢水の中流にあり、要害の地として有名。また、諸葛亮の隠居地でもある。孟浩然の故郷。
鹿門山 襄陽郊外の山。孟浩然が隠棲した場所。

補足
賈島と白居易の年齢差は七歳。同時代を生きた人間だが、白居易が世に出た方が早かったと考えられる。
「雲深不知處」の語を用いたのは賈島の方だが、その表現の参考になった可能性のある詩として上記を挙げる。

 

寒室(熟語)

『漢語大詞典』
貧寒人家。
日本語訳
貧しい人の家。

用例
『宋書』孔靖傳
弟靈符,元嘉末,為南譙王義宣司空長史、南郡太守,尚書吏部郎。世祖大明初,自侍中為輔國將軍、郢州刺史,入為丹陽尹。山陰縣土境褊狹,民多田少,靈符表徙無貲之家於餘姚、鄞、鄮三縣界,墾起湖田。上使公卿博議,太宰江夏王義恭議曰:「夫訓農修本,有國所同,土著之民,習玩日久,如京師無田,不聞徙居他縣。尋山陰豪族富室,頃畝不少,貧者肆力,非為無處,耕起空荒,無救災歉。又緣湖居民,魚鴨為業,及有居肆,理無樂徙。」尚書令柳元景、右僕射劉秀之、尚書王瓚之、顧凱之、顏師伯、嗣湘東王彧議曰:「富戶溫房,無假遷業;窮身寒室,必應徙居。葺宇疏皋,產粒無待,資公則公未易充,課私則私卒難具。生計既完,畬功自息,宜募亡叛通恤及與樂田者,其往經創,須粗修立,然後徙居。」

訓読
弟靈符は元嘉の末、南譙王義宣の司空長史、南郡太守、尚書吏部郎たり。世祖は大明の初め,侍中より輔國將軍、郢州刺史と為す、入りて丹陽の尹たり。山陰縣の土境は褊狹にして民多く田少し。靈符は無貲の家を餘姚、鄞、鄮の三縣界に徙し、湖田を墾起することを表す。上は公卿をして博議せしむ。太宰江夏、王義恭議して曰く「夫れ農を訓へ本を修むは,國と所同じき所有り。土著の民は習玩すること日び久し。如し京師に田無くも,居を他縣に徙すを聞かず。山陰の豪族を尋ぬれば、室を富まし、頃畝は少なからず。貧者は力を肆め,為すに非ずして處無くんば,空荒を耕起し,災歉を救ふこと無し。又た湖に緣る居民は、魚鴨を業と為す,居肆有るに及べば,理は樂徙に無し」と。尚書令の柳元景、右僕射劉秀之、尚書王瓚之、顧凱之、顏師伯、嗣湘東王彧ら議して曰く「富戶は房を溫くすれば、業を遷す假無し。身窮まりて室を寒くすれば、必ず居を徙すに應ず。葺宇は疏皋にして粒を產むも待み無し。公に資すれば則ち公は未だ易充せず、私に課せば則ち私は卒かに具すこと難し。生計既に完ければ、畬功は自ずから息ゆ。宜しく亡叛、通恤、及び田を樂しむ者とを募るべし、其れ往經創まり、須らく粗ぼ修立すれば、然る後居を徙すべし」と。

日本語訳
孔靖の子で孔山士の弟の靈符は、元嘉年間の末、南譙王劉義宣の司空長史、南郡太守、尚書吏部郎を務めた。世祖・孝武帝(南朝宋の第四代皇帝、劉駿)は大明年間の初め、侍中から輔國將軍、郢州刺史に任じたので、郢州(現在の湖北省東部)に入って丹陽の長官になった。郢州の山陰縣は手狭で、人口が多く田畝が少なかったので、靈符は財産のない家を餘姚、鄞、鄮の三縣に移住させ、湖を埋め立てた土地を開墾する案を奏上した。陛下は公卿にひろく議論させた。太宰江夏、王義恭が議論して言う事には「農業を教えて根本を学ぶのは、国についてと同じものがある。土着の民は毎日農業を行うが、注力しなくなって久しい。もし都に田畝がなくなったからといって、移住するなどとは聞いたことがない。山陰の豪族について聞いてみれば、家を裕福にしており、田畑も少なくない。貧しい者は力を尽くして、すべきことを為してそれでも居場所がないというのでなければ、荒れた土地を開墾し、不作を救うこともない。また湖の近くに住む民は、漁業や鴨を捕ることを生業としている、好き勝手することになれば、道理は移住にはない」と。尚書令の柳元景、右僕射劉秀之、尚書王瓚之、顧凱之、顏師伯、嗣湘東王彧らが議論して言うことには「富裕な家は部屋を暖かくしているので、生業を移そうとは思わない。貧窮の身で家が寒ければ、必ず移住に応じるはずだ。屋根の葺き方が粗雑であれば、作物を生産するとはいっても生活の頼みがない。公に支援をしてもすぐに支援が行き渡るわけではなく、個々人に課税してもすぐに準備することは難しい。生計が安定していれば、農業による成功も自ずと増える。逃れた者、憐れみを覚えるもの、畑仕事を楽しめる者を募るのが良い、そうやって移住の道が始まって、移住先での生活があらかた建設されれば、その後に他の者も移住すべきだ」と。
(訓読文・訳文の後半が大きく間違っている可能性があります。)

参考
『漢語大詞典』寒
15.謙詞。參見“寒舍”、“寒家”。
『漢語大詞典』寒家
1.寒微的家庭。
2.謙稱自己的家庭。
『漢語大詞典』寒舎
1.謙稱自己的家。
2.猶貧家。

日本語訳
『漢語大詞典』寒
15.謙遜語。「寒舍」「寒家」を参照。
『漢語大詞典』寒家
1.貧しい家庭。
2.自分の家庭を謙遜して言う言葉。
『漢語大詞典』寒舎
1.自分の家を謙遜して言う言葉。
2.貧しい家のこと。

補足
『魔道祖師』・『陳情令』では宗主の居所を「寒室」と呼ぶ。語の意味としては明らかに宗主の居室に相応しくないので、一種の謙詞(謙遜の言葉)として受け取るべきかもしれない。また、宗主自身が謙遜をするということ自体が非常に姑蘇藍氏の家風に叶っているように思われる。

 

静室(熟語)

『漢語大詞典』
1.古代天子行幸,對所居宮室先派人淸掃和檢查,以保持潔淨幷防止意外。
2.淸靜的屋子。
3.指寺院住房或隱士、居士修行之室。

日本語訳
1.古代の天子が行幸する際、住まう宮室へ先に人を派遣して清掃と検査をし、清潔と予想外の事故を防止したこと。
2.清らかで静かな部屋。
3.寺院の住居、もしくは隠者や在家信者の修行の部屋を指す。

用例
庾信「詠畫屛風詩」其二十二
洞靈開靜室 雲氣滿山齋
古松裁數樹 盤根無半埋
愛靜魚爭樂 依人鳥入懷
仲春徵隱士 蒲輪上計偕

訓読
庾信「屛風に畫くを詠む詩」其二十二
洞靈に靜室開き 雲氣は山齋に滿つ
古松は數樹を裁たるるも 盤根は半ばも埋まる無し
靜を愛するも魚は樂を爭ひ 人に依らず鳥は懷に入る
仲春、隱士を徵し 蒲輪、計偕に上る

日本語訳
庾信「屛風に描かれた絵を詠む詩」其二十二
衡山の洞靈宮では静かな部屋が開かれ 雲や霧が山奥の居室に満ちている
松の古木は数本伐られているが わだかまる根は半分も地に埋まらないほど立派である
静かな境地を好みはするが、魚は音楽を我先にと聞きたがり 人の意志とは無関係に鳥は懐に飛び込んでくる
春の中頃、皇帝は隠者を召す 隠者を乗せた車は都へと上って行く

語釈
庾信 513~81 南北朝時代の詩人。字は子山。梁および北周に仕えた。前半生は梁で文人として活躍したが、侯景の乱後の後半生は、やむなく北朝の北周に身を置くことになり、代表作「哀江南賦」をはじめ、江南を追慕する作品を残した。
洞靈 中国の代表的な霊山、衡山の紫蓋峰にあった道観(道教寺院)。洞靈宮という名で知られ、東晉末に建設されたという。由来は宋の道士とされる陳田夫の著作『南嶽總勝集』に詳しい。
蒲輪 振動をふせぐため、ガマの葉で車輪を包んだ車。昔、天子の封禅のときや、かくれた賢者を招くときなどに用いた。(『漢辞海』)
計偕 ①都に会計報告に行く役人。〈史・儒林伝・序〉②科挙(=官吏登用試験)の会試(=中央試験)を受けに行く/こと。(『漢辞海』)庾信の生きた時代にはまだ科挙は行われていなかったため、都へ上る意と考えた。

補足
藍湛の居室である「静室」は、『漢語大詞典』が挙げるところの2もしくは3の意味と理解される。庾信の詩は3の用例である。

 

蘭室(典拠有)(熟語)

『漢語大詞典』
芳香高雅的居室。多指婦女的居室。
日本語訳
香り高く雅やかな部屋。多く女性の部屋を指す。

用例
情詩二首 其一 張茂先
清風動帷簾 晨月照幽房
佳人處遐遠 蘭室無容光
襟懷擁靈景 輕衾覆空床
居歡愒夜促 在慼怨宵長
拊枕獨嘯歎 感慨心內傷

訓読
川合康三 他『文選 詩篇(五)』(2019年岩波書店)より
情詩二首 其の一
清風 帷簾を動かし 晨月 幽房を照らす
佳人は遐遠に處り 蘭室に容光無し
襟懐に霊景を擁するも 軽衾は空床を覆う
歓びに居りては夜のみじかきをしみ うれいに在りては宵の長きを怨む
枕を拊して独り嘯歎し 感慨して 心 内に傷む

日本語訳
同書より
恋の歌 その一
さわやかな風が帳や御簾を揺らし、夜明けの月が深く静かな部屋を照らします。
我がよき人ははるか遠くにいて、蘭香るこの部屋に輝くお姿は見えません。
胸にはくすしきお姿を収めていますが、軽い夜着は主なき寝台を覆います。
喜びの時には夜の短さが惜しまれ、悲しみの今は夜の長さがうらめしい。
枕をさすってひとり長いため息をつき、思いを深くし心いたませています。

補足
「蘭室」が女性の居室を指す用例。しかしこの意味だとすると、「蘭室」が座学の行われる教室の名前であることにそぐわない。

『漢語大詞典』
蘭友瓜戚
好友與親戚。參見“蘭交”、“瓜葛”。
蘭交
《易·繫辭上》:“二人同心,其利斷金;同心之言,其臭如蘭。”后因稱知心朋友爲“蘭交”。

日本語訳
蘭友瓜戚
仲の良い友人と親戚。「蘭交」、「瓜葛」を参考のこと。
蘭交
『易』繫辭上伝に「二人同心、其利斷金。同心之言、其臭如蘭」とある。ここから、心の置けない友人のことを「蘭交」という。

出典
『周易』繫辭上伝
同人,先號咷而後笑。子曰:「君子之道,或出或處,或默或語,二人同心,其利斷金。同心之言,其臭如蘭。」

訓読
本田済『易』(1997年・朝日新聞出版)より
同人先に号咷して後に笑う。子曰く、君子の道、或いは出でて或いは処る。或いはもだし或いは語る。二人心を同じうすれば、其の利きこと金を断つ。同心の言は、其の臭い蘭の如し。

日本語訳
同書より
同人九五の爻辞に「人を合同せんとするに、始めは泣きわめくが、後には笑う」とある。孔子は布衍していう、君子の道は、仕える人あれば野にある人もあり、政治の場で黙っている人と大いに論ずる人とあるように、初めは不同なようでも、其の実、最後には通い合うものである。この二人が心を合わせれば、向かうところ敵なく、その鋭利さは金をも断ちうる。心を合わせたもののことばは、蘭のごとく香ぐわしく、はたの人も聞いて楽しい。(清の王夫之)

補足
「断金」の語は、例えば『三国志演義』の孫策と周瑜のように固い友情で結ばれた者同士を表す語として有名だが、蘭交も同じ『周易』繋辞上伝を出典とする。蘭室の「蘭」に具体的な意味を求めるのであれば、女性の居室と見るよりは、学友との関わりを意味すると解した方が良いだろう。

 

雅室

『漢辞海』雅
❶正確な。規範にかなっているさま。ただ-しい・タダ-シ。
❷高尚な。上品で趣のあるさま。みやび-やか。対俗。「雅興」「文雅」
❸相手の行動や意志に対して敬意を表すためにつけることば。「雅嘱」「雅教」
❹常のことであるさま。平素の。

参考
『漢辞海』雅正
①優れて正しい。②正直なさま。

用例
『世説新語』方正
晉武帝時,荀勖為中書監,和嶠為令。故事,監、令由來共車。嶠性雅正,常疾勖諂諛。後公車來,嶠便登,正向前坐,不復容勖。勖方更覓車,然後得去。監、令各給車自此始。

訓読
晉の武帝の時、荀勖は中書監たり、和嶠は令たり。故事に、監・令は由りて来て車を共にす。嶠の性は雅正にして、常に勖の諂諛をにくむ。後に公車来たる。嶠便は便ち登りて、正しく前坐に向かひて、復た容勖を容れず。勖は方に更に車を覓めんとして、然る後に得て去る。監・令各おの車を給ふは、此より始む。

日本語訳
晉の武帝の時、荀勖は中書監であり、和嶠は中書令であった。しきたりでは監と令とは同じ車に乗ることになっていた。和嶠の性格は模範的であり、いつも荀勖の阿諛追従を嫌っていた。その後、公用車が来た。和嶠はすぐに車に登り、手前の座席に向かうと、その後荀勖を入れようとしなかった。荀勖はもう一台車を求め、その後見つけて行った。監・令がそれぞれ別の車を給わるのは、ここから始まったのである。

補足
「雅」の意味が日本語とはやや異なる(日本語で使われる「雅」が複数の意味の内、「みやびやか」の意味に限定されている)。

 

冥室(熟語)

『漢語大詞典』
黑暗無光之室。

日本語訳
真っ暗で光のない部屋。

用例
『淮南子』説林訓
榛巢者處林茂,安也;窟穴者託埵防,便也。王子慶忌足躡麋鹿,手搏兕虎,置之冥室之中,不能搏龜鱉,勢不便也。
※上記リンク先にはテクストの乱れがあった為、張雙棣撰『淮南子校釋 下』(1997年・北京大学出版社)に基づいて文字を改めました。

訓読
榛巢の者は林茂に處れば安きなり。窟穴の者は埵防にれば便よろしきなり。王子慶忌の足は麋鹿をみ、手は兕虎を搏つも、之を冥室の中に置けば,龜鱉を搏つこと能はず、勢は便しからざるなり。

日本語訳
柴や薪で作られた巣のような住居に住む者は、林の繁茂している場所にいれば安心である。洞窟に住む者は、高いところに堤防があると都合が良い。(剛勇で知られた)王子慶忌の足は、オオジカや鹿を踏みつけ、手はサイや虎を打ったが、彼を光の差さない部屋に置けば、亀やスッポンを打つことはできず、勢いはよろしくない。

語釈
榛巢 王引之の注釈に「『榛』當讀爲『橧』」とあり、これに従う。「聚柴薪造的巢形住處。」(『漢語大詞典』橧巢)。「茂」の解釈は馬宗霍の注に従った。
埵防 高誘の注釈に「埵防,高處防隄也。」とあり、これに従う。

補足
余りにそのままの意味なので用例を出さなくても良かったかもしれない……?

二、藍渙

『漢辞海』
一(動)
❶氷がゆるみ、とける。と-ける・ト-ク。
❷離散する。ちらばる。ち-る。「叛渙」「散渙」
二(形)
❶美しくつややかなさま。あきら-か。〈通〉煥。「渙爛」
三(名)
❶易エキの六十四卦カの一つ。坎下巽上。風水渙。風が水上に吹きつけて水が散ることから。離散の象。


『周易』渙卦
䷺渙:
渙:亨。王假有廟,利涉大川,利貞。
彖傳:渙,亨。剛來而不窮,柔得位乎外而上同。王假有廟,王乃在中也。利涉大川,乘木有功也。
象傳:風行水上,渙;先王以享于帝立廟。
初六:用拯馬壯,吉。象傳:初六之吉,順也。
九二:渙奔其机,悔亡。象傳:渙奔其机,得愿也。
六三:渙其躬,无悔。象傳:渙其躬,志在外也。
六四:渙其群,元吉。渙有丘,匪夷所思。象傳:渙其群,元吉;光大也。
九五:渙汗其大號,渙王居,无咎。象傳:王居无咎,正位也。
上九:渙其血,去逖出,无咎。象傳:渙其血,遠害也。

訓読
本田済『易』(1997年・朝日新聞出版)より
渙は、亨る。王有廟にいたる。大川を渉るに利あり。ただしきに利あり。
彖に曰く、渙は亨る。剛来りて窮まらず、柔位を外に得て上同す。王有廟に仮るは、王乃ち中に在るなり。大川を渉るに利あるは、木に乗って功あるなり。
象に曰く、風水上に行くは渙なり。先王以てに帝享し廟を立つ。
初六は、もって拯すくう馬壮んなれば、吉。象に曰く、初六の吉なるは、順えばなり。
九二は、渙のとき其のおしまに奔る。悔亡ぶ。象に曰く、渙のとき其の机に奔るは、願いを得るなり。
六三は、渙其の躬を渙す。悔なし。象に曰く、其躬を渙するは、志し外にあるなり。
六四は、其群を渙す。元吉なり。渙して丘あり、夷の思うところにあらず。象に曰く、其の群を渙す元吉なるは、光大なればなり。
九五は、渙のとき其の大号を汗のごとくにす。王居を渙すれば、咎なし。象に曰く、王居咎なきは、正位なればなり。
上九は、渙其のいたみを渙す、去りてとおく出ず。咎なし。象に曰く、其の血を渙するは、害に遠ざかるなり。

日本語訳
同書より(解説と訳文が一緒になっていて大変長いため、卦辞の訳と解説のみを引用します)
序卦伝は、兌に渙が次ぐ理由を説明して、よろこべば人の気鬱がのびやかに渙るから、という。渙は氷が解け割れる意味、散る。(中略)渙卦䷺は、下が☵水で、上が☴風。風が水の上を吹き渡れば、表面の水は小波となって一斉に散る。そこで渙と名付けた。この卦、九二が剛で「中」を得、六三が六四と心を合わせるという良き徳がある故に、亨るという。王が廟に至るのは、先祖の霊魂が渙散しているのを、廟で祭ることによって再び結聚しようというのであろう。上卦☴は木でもある。渙卦は水☵の上に木☴で舟の意味があるから、大川を渉るに利あり。利貞は正道を固守せよという、占者への深い戒めである。占ってこの卦を得れば、総じて願いごと通る。廟祭によろしく、大川を渉る冒険によろしい。ただし正道を持続した場合にのみ利益が得られよう。

補足
『漢辞海』の3の詳細が上掲の『周易』の引用である。『周易』は占いの書物で、上記の引用も占いを行った結果に関する文章である。渙卦䷺は卦辞・爻辞全ての占断に凶がない。また「渙」に散るの意があることから、何かを散らすイメージに基づいて占断が展開されている。上掲書、六三爻辞の解説に「これ以下四爻みな、何かを渙散することで渙散の時を救う意味がある」とあるが、全体としてそのようなイメージの卦なのではないだろうか。
(『周易』に関する詳しい説明は、上掲書や三浦國雄『易経』2010年・角川学芸出版、金谷治『易の話』2003年・講談社などをご参照下さい。)
「渙」字の第一義は「氷がゆるみ、とける」で、藍曦臣の簫・裂冰の名とも連動する。『周易』渙卦の表すところは第二義「離散する」に近い。

 

曦臣

『漢語大詞典』

1.指太陽,陽光。
2.映照。
3.通“羲”。參見“曦和”。

曦和
即羲和。羲氏與和氏的幷稱。爲傳說中堯時執掌天文曆法的官吏。

羲和
1.羲氏和和氏的幷稱。傳說堯曾命羲仲、羲叔、和仲、和叔兩對兄弟分駐四方,以觀天象,幷制曆法。
2.古代神話傳說中的人物。駕御日車的神。
3.古代神話傳說中的人物。太陽的母親。 
4.代指太陽。
5.王莽時主掌全國財賦的官吏。

日本語訳

1.太陽、陽光を指す。
2.照り映えること。
3.「羲」に通じる。「曦和」を参照のこと。

曦和
「羲和」のこと。羲氏と和氏の総称。伝説では堯の時代に天文暦法を司る官吏であった。

羲和
1.羲氏と和氏の総称。伝説では、堯は嘗て、羲仲と羲叔、和仲と和叔、二組の兄弟を東西南北の四方に分けて駐留させ、天象を観察させ、あわせて暦法を制定させた。
2.古代の神話や伝説の中の人物。太陽の車に乗って操る神。
3.古代の神話は伝説の中の人物。太陽の母親。
4.太陽の代名詞。
5.王莽の時代に全国の財貨と賦税とを司った官吏。

参考
『漢語大詞典』曦車
羲和所駕之車。指太陽。
日本語訳
羲和が乗って操っている車。太陽を指す。

用例①
『尚書』堯典
乃命羲和,欽若昊天,歷象日月星辰,敬授人時。
訓読
乃ち羲和に、つつしんで昊天にしたがひ、日月星辰を歴象し、つつしんで民の時をかぞふを命ず。
日本語訳
そこで羲和に、つつしんで大いなる天に従って日月星辰を観測し、怠りなく民の時を数えるようにと命じた。

用例②
『楚辞』離騒
朝發軔於蒼梧兮 夕余至乎縣圃
欲少留此靈瑣兮 日忽忽其將暮
吾令羲和弭節兮 望崦嵫而勿迫
路曼曼其脩遠兮 吾將上下而求索

訓読
小南一郎訳注『楚辞』(2021年・岩波書店)
朝に軔を蒼梧に発し
夕べに余 県圃に至る
少らく此の霊瑣に留まらんと欲するも
日 忽忽として其将に暮れんとす
吾 羲和をして節を弭め
崦嵫を望みて迫る勿から令む
路 曼曼として其れ脩遠なり
吾 将に上下して求索せんとす

日本語訳
同書より
あしたに、我が馬車を蒼梧の山から出発させ
夕べに、県圃にまでやって来た
しばらく、この神々の門の前で車を留めようとするが
太陽は、あわただしくも、暮れかかっている。

わたしは、太陽の御者の羲和ぎかに命じて、車の速度を抑え
崦嵫えんじの山を望みつつも、そこに近づくことを禁じた
行く先の路は、あてもなく、はるかに遠く
わたしは、天地の間を行き来して、探索を続けようとするのだ

補足
「曦」が太陽を意味する語なのは辞書を引けば一目瞭然だが、「羲」と音通して羲和の意にもなることを示したい。羲和は五経の一つである『尚書』(『書経』のこと)では、堯の臣下で天文暦法を制定する官として位置づけられている。また長江中流域の楚の歌謡を収めた『楚辞』では、太陽を車に見立て、その御者の名を羲和であるとする。
「曦臣」を字義通りに取るならば、太陽の臣下の意味になる。太陽が何を指すのか、臣下が何を指すのかを含め、想像すると面白い部分だと思う。例えば彼の剣が朔月であることから考えると、太陽の臣下=太陽の次に大きな天象、で月の意味とも読めるだろうし、あるいは暖かさの根源である太陽の臣下であるなら、やはり温暖を司るとも読めるだろう。

裂冰

用例①
羽林行 孟郊
朔雪寒斷指 朔風勁裂冰
胡中射鵰者 此日猶不能
翩翩羽林兒 錦臂飛蒼鷹 
揮鞭決白馬 走出黃河凌

訓読
朔雪は寒くして指を斷たんとし 朔風は勁くして冰を裂く
胡中の鵰を射る者も 此の日は猶ほ能はず
翩翩たる羽林兒、錦臂、蒼鷹を飛ばす 
鞭を揮ひて白馬を決め、走り出づ黃河の凌

日本語訳
北国の雪は寒く指を断ち切り、北風は強く氷を割る
鷲を射るような異民族の弓の名人も、今日はそんなこともできないはずだ
近衛兵たちの錦の腕は、ひらひらと舞って蒼鷹が素早く飛んでいるかのよう
白馬に鞭打ち、さあ行け、と促せば 凍った黄河へと走り出して行く

語釈
孟郊 751~814 中唐の詩人。字は東野。四十歳を過ぎて進士(=会試・殿試の合格者)となる。韓愈と親しく「孟詩韓筆」と称された。
朔雪・朔風 どちらも北国の雪、北国の風と、「朔」が北方を意味する。

出典②
兩頭纖纖 王建
兩頭纖纖青玉玦 半白半黑頭上髮
腷腷膊膊春冰裂 磊磊落落桃花結。

訓読
兩頭は纖纖として青き玉玦 半ばは白く半ばは黑き頭上の髮
腷腷膊膊たり春冰は裂け 磊磊落落たり桃花結ぶ。
日本語訳
二つの頭の繊細で優しげなことは青い玉玦のよう 白と黒が半分ずつの頭上の髪
ぱきぱきぱりぱりと春の氷が割れ はらりはらりと桃の花が咲こうとしている

語釈
兩頭纖纖 雑体詩の一種。それぞれの句の最初の四字が固定で、これに相応しい物品名を後の三字に当てはめる、言葉遊びの詩歌。王建意外にも、范成大をはじめ様々な詩人がこの遊びに取り組んでいる。
腷腷膊膊 「逼逼僕僕」とするテクストもある。どちらにせよ、オノマトペの一種。どのようなものを表す語なのか判然としなかったため、「腷膊」が「かさこそ」であるという『漢辞海』の説明から、かすかな音であると取った(しかし「磊落」は大きい音なので桃の花と合わない。「腷膊」もまた大きい音の形容で、わざとそうした取り合わせにしている可能性もある。)

補足
裂冰が冬の厳しさを示す場合もあれば、張っていた氷が割れて融けてゆくことから春のイメージを伴う語として使われる場合もある。
『魔道祖師』第十四章で、藍曦臣と彼の吹く裂冰の音は「春の風と大地を潤す雨のように温かく穏やかで品がある」と説明されている。

朔月(熟語)

『漢辞海』
朔月
【朔日】サクジツ=【朔月サクゲツ】 月の第一日。ついたち。〈礼・月令〉

 

 

澤蕪君・青蘅君(典拠有)

『漢語大詞典』
蘅蕪
香名。

日本語訳
こうの名前。

出典
王嘉『拾遺記』巻五
帝息於延涼室,臥夢李夫人授帝蘅蕪之香。帝驚起,而香氣猶著衣枕,歷月不歇。帝彌思求,終不復見,涕泣洽席,遂改延涼室為遺芳夢室。

訓読
帝は延涼室に息み、臥夢に李夫人は帝に蘅蕪の香を帝に授く。帝驚きて起きれば、香氣猶ほ衣枕に著き、月を歷るも歇きず。帝彌いよ思ひ求むるも終に復た見えず、涕泣して席を洽らす。遂に延涼室を改め遺芳夢室と為す。

日本語訳
武帝は延涼室で休んだところ、李夫人が帝に蘅蕪の香を授ける夢を見た。帝は驚きいて起きれば、香気は衣や枕について、月を経ても消えなかった。帝は益々李夫人を思い求めたが、再び会うことは叶わず、涙を流して敷物を濡らした。とうとう延涼室の名を遺芳夢室に改めた。

補足①「蘅蕪」の語について
漢と武帝と李夫人の恋については、日本でも「反魂香」の言葉で知られる伝説になっている。白居易『長恨歌』も、漢の武帝と李夫人に仮託する形で玄宗と楊貴妃の悲恋を描いた。何にせよ、他界した李夫人に会いたいと願う武帝と、李夫人の束の間の再会、夢の中での逢瀬といったシーンと、薫き物というアイテムが結びついている伝説だ。
「蘅蕪」は字義通りであれば「荒れ果てている」「草ぼうぼう」というようなニュアンスだが、このような伝説からロマンティックな李夫人のエピソードを想起する語感となったようだ。例えば『紅楼夢』のヒロインの一人、薛宝釵の号は「蘅蕪君」である。

補足②「蘅」について
(『漢辞海』蘅)
一(名)❶ウマノスズクサ科の多年草。芳香が強く、薬用とされる。細辛。杜蘅。カンアオイ。

(『漢語大詞典』蘅)
香草名。即杜蘅。《楚辭·王逸〈九思·傷時〉》:“蘅芷彫兮瑩嫇。”原注:“蘅,杜蘅;芷,若芷。皆香草。”
日本語訳
香草の名。杜蘅のこと。『楚辞』に収録されている王逸作「九思」の「傷時」の「蘅芷彫兮瑩嫇」の注釈に「蘅は杜蘅のことであり、芷は若芷のことである。どれも香草である」と書かれている。

(潘富俊『楚辞植物图鉴』2003年・上海书店出版社)
杜衡
古代诗文中,凡称“蘅”、“衡”或“杜衡”者均指马兜铃科的杜蘅;而称“杜”或“杜若”者,则为姜科之高良姜(见76页)。杜蘅为细辛属(Asarum
)植物,形态和气味都和中药常用的细辛(A.heterotropoides Fr. Schmidt)类似。杜蘅全株均有香辛味,可随身佩带当作香料。古时道家也常服用,据说可“令人身衣香”。
日本語訳
古代の詩文の中で広く「蘅」や「衡」、あるいは「杜衡」と称すものは、全てウマノスズクサ科の杜蘅であり、「杜」や「杜若」と称すものは、ショウガ科の高良姜(P.76参照)である。杜蘅はカンアオイ属(学名:Asarum)の植物で、形も香りも、中医学の薬によく用いられるウスバサイシン(A.heterotropoides Fr. Schmidt)に似ている。杜蘅はどの個体であっても芳香と刺激的な香りがし、香料として身に着けることもできる。古代の道家ではよく服用され、「人身に香りを着せる」ことが出来たという。

補足の補足
蘅は『楚辞』に見える香草で、杜蘅とか杜衡とも書く。現存の植物でこれに比定されているのは”Asarum forbesii Maxim”という植物で、現代中文では杜蘅と呼ばれる(日本には完全に合致する植物は存在しない)。薬用の他、身に帯びて香りを纏う用途もあり、『楚辞』にそうした香草の用い方が頻繁に登場する。こうした使われ方から、薫き物の名前にも用いられたのかもしれない。

 

 

三、藍湛

『漢辞海』

A二(形)
❶水が澄んださま。「清湛セイタン」
❷濃厚なさま。「湛露」
❸深いさま。「湛恩(=深い恩愛)」
❹速度がゆるやかなさま。「日湛ニッタン(=太陽の運行がゆるやか)」
A二(動)
❶いっぱいに満ちる。たた-える・タタ-フ。「湛溢タンイツ(=満ちあふれる)」

参考
『漢語大詞典』湛藍
深藍色。
日本語訳
深い青色。

 
 

忘機(熟語)

『辞源』
忘却計較或巧詐之心。指自甘恬淡與世無争。
日本語訳
計算したり、巧みに騙したりする心を忘れること。自ら恬淡とし、進んで世の中と争わないことを指す。

用例
下終南山過斛斯山人宿置酒 李白
暮從碧山下 山月隨人歸

卻顧所來徑 蒼蒼橫翠微

相攜及田家 童稚開荊扉
綠竹入幽徑 青蘿拂行衣

歡言得所憩 美酒聊共揮
長歌吟松風 曲盡河星稀
我醉君復樂 陶然共忘機

訓読
終南山を下り斛斯山人の宿を過りて置酒す李白
暮れに碧山より下れば 山月は人に隨ひて歸る

來たる所の徑を卻顧すれば 蒼蒼として翠微に橫たはる

たずさへて田家に及べば 童稚は荊扉を開く

綠竹は幽徑に入り 青蘿は行衣を拂ふ
歡言は憩ふる所を得 美酒はいささか共に揮ふ
長歌は松風に吟じ 曲盡きて河星稀なり

我醉へり君も復た樂しむ 陶然として共に機を忘る

日本語訳
終南山を下って斛斯山人の家を通りかかり酒宴を設ける 李白
日暮れに青々とした山を下りれば、山も月も人について来て共に帰る
今までやって来た道を振り向けば、草木が茂って薄靄の中に横たわっている
山月を引き連れて田舎家に来れば、子供が粗末な家の扉を開く
緑竹はひっそりとした小道にも生い茂り、青い蔦は旅装に引っかかる
談笑し休める場所を得て 美酒をしばらくは共に楽しむ
松風にのせて朗々と詩を詠じ、曲が尽きれば天の川の星もまばらになる
私は酔い君もまた楽しんでいる、陶然として、二人とも小難しい考えなど忘れてしまった

参考①
『荘子』天地篇
子貢南遊於楚,反於晉,過漢陰,見一丈人方將為圃畦,鑿隧而入井,抱甕而出灌,搰搰然用力甚多而見功寡。子貢曰:「有械於此,一日浸百畦,用力甚寡而見功多,夫子不欲乎?」為圃者卬而視之曰:「奈何?」曰:「鑿木為機,後重前輕,挈水若抽,數如泆湯,其名為槔。」為圃者忿然作色而笑曰:「吾聞之吾師:『有機械者必有機事,有機事者必有機心。』機心存於胸中,則純白不備;純白不備,則神生不定;神生不定者,道之所不載也。吾非不知,羞而不為也。」

訓読
森三樹三郎『荘子 Ⅰ』(2001年・中央公論新社)
子貢、南のかた楚に遊び、晋に返らんとして、漢陰を過ぎ、一丈人を見る。方将まさに圃畦をつくらんとし、隧を鑿ちて井に入り、甕を抱きて出でてそそぐ。搰搰然として力を用うること甚だ多くして、而も功を見ること寡なし。子貢曰わく「ここに械有り、一日にして百畦を浸す。力を用うること甚だ寡なくして、功を見ること多し。夫子は欲せざるか」と。
圃を為る者、あおぎて之を視て曰わく「奈何いかん」と。曰わく「木を鑿ちて機を為り、後ろは重く、前は軽くす。水をぐることくがごとく、すみやかなること泆湯の如し。其の名をこうと為す」と。圃を為る者、忿然として色をし、而して笑ひて曰わく「吾之を吾か師に聞けり。機械を有する者は、必ず機事有り。機事有る者は、必ず機心有り。機心、胸中に存すれば、則ち純白備はらず。純白備はらざれば、則ち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざる所なり」と。吾知らずには非ず、羞じて為さざるなり」と。

日本語訳
同書より
 子貢が南方の楚の国に旅行をし、晋の国に帰ろうとして漢江の南にさしかかったとき、ひとりの老人に出会った。その老人は畑つくりをするために、坂道を掘って井戸のなかにはいり、瓶に水をくみ、かかえて出ては畑にそそいでいる。ひどく労力ばかりが多くて、しかもいっこうに仕事の能率があがらない。そこで、子貢は老人に声をかけた。
「水をくみなさるなら、よい機械がありますよ。一日のうちに百ほどのに水をやることができ、労力はたいへん少なくて能率があがります。あなたは欲しいと思いませんか」
 すると、畑つくりの老人は、顔をあげて子貢を見ながら答えた。
「そりゃ、いったい何だね」
「それは木を細工してつくった機械で、うしろが重く、前が軽いようにできています。これを使うと、まるで軽い物を引き出すように水をくみあげることができ、 しかも速度がはやいので、あたりが洪水になるほどです。その名は、はねつるべといいます」
 すると、畑つくりの老人は、むっと腹をたてたようすであったが、やがて笑って答えた。
「わしは、わしの先生から聞いたことがある。機械をもつものには、必ず機械にたよる仕事がふえる。機械にたよる仕事がふえると、機械にたよる心が生まれる。もし機械にたよる心が胸中にあると、自然のままの純白の美しさが失われる。純白の美しさが失われると、霊妙な生命のはたらきも安定を失う。霊妙な生命のはたらきの安定を失ったものは、道から見離されてしまうものだ、と。
 わしも、その機械のことなら知らないわけではないが、けがらわしいから使わないまでだよ」

『漢語大詞典』忘機甕
傳說孔子的學生子貢,在遊楚返晉過漢陰時,看見一個種菜老人一次又一次地抱著甕去澆菜,就建議他用機械汲水。老者忿然作色說:“有機械者必有機事,有機事者必有機心。”見《莊子·天地》。后因以“忘機甕”比喩沒有機心。

日本語訳
伝説に、孔子の弟子の子貢が楚に遊び晋に帰る途中、漢水の南を通った時、一人の野菜を植える老人を見た。老人は毎度毎度、甕を抱えて野菜に水やりをしていたので、子貢は機械を使って水を汲むことを提案した。老人はむっとして言った、「機械があると計算することが増える、計算することが増えると,必ず謀の心が生まれる」と。『荘子』天地に見えるエピソードである。これにちなんで、「忘機甕」は謀の心を持たないことのたとえになった。

参考②
『列子』黄帝
海上之人有好漚鳥者,每旦之海上,從漚鳥游,漚鳥之至者百住而不止。其父曰:「吾聞漚鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。」明日之海上,漚鳥舞而不下也。故曰:至言去言,至為無為;齊智之所知,則淺矣。

訓読
海上の人に漚鳥を好む者有り。毎旦の海上にて、漚鳥に從ひて游び、漚鳥の至る者は百住にして止まず。其の父曰く「吾漚鳥は皆汝に從ひて游ぶと聞く。汝取りて來たれ、吾も之を玩ばん」と。明日の海上には、漚鳥舞ひて下らざるなり。故に曰く「至言は言を去り、至為は無為なり。齊智の知る所、則ち淺し」と。

日本語訳
海辺に住む人でカモメを好む者がいた。毎朝、海辺でカモメに従って遊び、その者のところに来るカモメも百羽以上もいた。その父親は「カモメはみなお前に従って遊ぶと聞いている。お前、カモメを取って来てくれ、私も遊びたいのだ」と言った。翌日の海辺では、カモメは空を舞って下りて来なかった。それ故に言うのだ「究極の言葉とは言葉を去ることであり、究極の行為とは無為である。知恵によって理解されることは、浅はかなのだ」と。

『漢語大詞典』鷗鷺忘機
(前略)指人無巧詐之心,異類可以親近。后以“鷗鷺忘機”比喩淡泊隱居,不以世事爲懷。

日本語訳
巧みな偽りの心がなく、種族が異なる者同士でも親しくなれることを指す。後には「鷗鷺忘機」は名誉や利益にとらわれずに隠居し、世の中のことを惜しまないことを指すようになった。

補足
「忘機」の「機」が様々な意味を含んでおり、難しい言葉。機械から連想されるような「便利さ」「物事を器用に運ぶためのたくらみ」「小手先の技術」、「巧みな弁舌(で人を騙すこと)」またそれらから連想される様々な煩わしい世事を指すと考えられる。そうした「機」を忘れるのであるから、世間とは距離を置く態度や、物事を要領良く器用に運ぶことや能率性の拒否、といった語感を含むだろう。多分に老荘的な語。
また、中国古典音楽の中には「鷗鷺忘機」という古琴の曲がある。藍忘機の愛器は琴なので、これを典拠的なものと見るべきではないだろうか。

 

 

含光君(典拠有)

『漢語大詞典』含光
1.蘊含光彩。
2.猶和光。謂內蘊不外露。比喩至德。
3.比喩隨俗浮沉。
4.猶斂光。收斂光輝。
5.寶劍名。

日本語訳
1.鮮やかな光や彩りを包含する。
2.和光に同じ。内に含んで外に表さないことを言う。至徳のたとえ。
3.世の中に従って浮き沈みすることのたとえ。
5.宝剣の名前。

出典①
『老子』第四章
道沖而用之或不盈,淵乎似萬物之宗。挫其銳,解其紛,和其光,同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子,象帝之先。

訓読
金谷治『老子』(1997年・講談社)より
道はむなしきも之を用うればた盈たず。淵として萬物の宗に似たり。其の鋭を挫いて、其の紛を解き、其の光を和げて,其の塵に同ず。湛として存する或るに似たり。吾れ、誰の子なるかを知らず、帝の先にたり。

日本語訳
同書より
「道」はからっぽで何の役にもたたないようであるが、そのはたらきは無尽であって、そのからっぽが何かで満たされたりすることは決してない。満たされていると、それを使い果たせば終わりであって有限だが、からっぽであるからこそ、無限のはたらきが出てくるのだ。それは底知らずの淵のように深々としていて、どうやら万物の根源であるらしい。
 それは、すべての鋭さをくじいて鈍くし、すべてのもつれを解きほぐし、すべての輝きをおさえやわらげ、すべての塵とひとつになる。
 それは、たたえた水のように奥深くて、どうやら何かが存在しているらしい。
 わたしは、それが何ものの子であるかを知らないが、万物を生み出した天帝のさらに祖先であるようだ。

参考
『漢辞海』和光同塵
①自分の能力をかくし、俗世間にまじわっていること。

『重編國語辭典修訂本』和光同塵
1.鋒芒內斂與世無爭,而與囂雜塵俗相融合。
2.比喻與世浮沉,隨波逐流或同流合汙。
日本語訳
1.鋭さを内にしまって世の中と争わず、騒々しい俗塵と融和すること。
2.世の中の浮き沈みや、波、流れなどに押し流されて同調すること。

補足
『漢語大詞典』の二項目「猶和光」から「和光」の出典を挙げてみた。直接「含光」の出典ではないものの、「同塵」の語が見え、こちらが「避塵」と対置されているように伺えること、また「湛兮似或存」の語も見え、藍湛に縁の深い語が揃っている一節と言える。
「和光」と「含光」とが繋がっている証拠に、『漢語大詞典』に見える「含光」の語釈と、『重編國語辭典修訂本』の和光同塵の語釈の記述はかなり共通している。
問題は「同塵」をネガティブに取るのか、ポジティブに取るのかという点だ。『老子』ではポジティブな意味で書かれているが、後の時代の成語ではネガティブな意味に解釈している。「光るものを持ちながら、俗世間の塵に染まるを良しとしてしまうような人」というニュアンスだ。
そのような成語のニュアンスを前提に考えてみると、藍湛が「避塵」を持っているのは多分に象徴的だと感じる。光るものを内に秘めつつ――決してひけらかしたりはしない――俗世間に迎合しない、むしろ降りかかる俗塵をその手で払っていくような人、というのは藍湛の人物像としてしっくり来るのではないだろうか。

出典②
『列子』湯問
孔周曰:「吾有三劍,唯子所擇;皆不能殺人,且先言其狀。一曰含光,視之不可見,運之不知有。其所觸也,泯然无際,經物而物不覺。

訓読
孔周曰く「吾三劍有り。唯だ子の擇ぶ所、皆人を殺す能はず。しばらく先づ其の狀を言ふ。一に曰く含光、之を視るとも見るべからず、之をめぐらすとも有るを知るべからず。其のるる所や、泯然として際无く、物を經れども物覺えず。(後略)」

日本語訳
孔周は言う「私は三つの剣を持っている。ただしあなたがどれを選んでも、どれも人を殺すことはできない。しばらくはまず、それぞれの様子を述べよう。一つ目は含光、これは見ようとしても見えず、振っても存在が分からない剣だ。剣が触れたかどうかも曖昧で輪郭がなく、物を斬ったとしてもよく分からない」

補足
こちらはそのものズバリ「含光」という名の宝剣。剣のありようとしては特に藍湛に繋がるものでもないような印象を受けるが、そのもの「含光」という語を用いている典拠。

 

避塵(熟語)

『漢語大詞典』避塵
1.《晉書·王導傳》:“時亮〈庾亮〉雖居外鎮,而執朝廷之權,既據上流,擁強兵,趣向者多歸之。導內不能平,常遇西風塵起,舉扇自蔽,徐曰:‘元規塵汙人。’”后以“避塵”指代其事。
2.避開塵俗。

日本語訳
1.『晉書』王導傳に「時亮は外鎮に居ると雖も、朝廷の權を執り、既に上流に據る。強兵を擁し、趣向する者は多く之に歸す。導は內に平らぐ能はず。常に西風に遇ひて塵起く、扇を舉げて自ら蔽ふ。徐ろに曰く『元規塵人を汙せり』と。」という記述がある。後には「避塵」はこの事を指すようになった。
2.俗世の塵を避ける。

用例
偶成 其二 袁宏道
佛大剛盈尺 山高也避塵
時時聞戒定 法法遇貪嗔
竹粉遺天女 松脂食道人
南能休借閱 即汝是前身

訓読
偶成 其二 袁宏道
佛は大剛にして尺を盈たし 山高くして也た塵を避く
時時戒定を聞き 法法貪嗔に遇ふ
竹粉は天女を遺し 松脂は道人を食ふ
南能は借閱を休む 即ち汝是れ前身

日本語訳
佛は力強く堂々としていて 山々は高くまた俗塵を避ける
常々戒律を聞くが 仏法を学ぶ中で貪欲と瞋恚(いかり)とに出会う
竹が伸びる時に出る粉は天女を遺してゆき 松脂は仏道修行をするひとを食ったという
慧能は書物を借りて読むのを休んだ これがあなたの前世だよ

語釈
法法 語義はよく分からず。『重編國語辭典修訂本』に「大大法法」の語が見え、「形容身體高大健壯。」とするが、この文脈にはそぐわない。「大法」は仏教用語では大乗仏教を指す意味もあるため、「仏法の中で」というような意味で訳した。
南能 唐代に禅宗の南宗を開いた、六祖慧能のこと。

補足
山奥の寺院の形容として、「避塵」が出てくる。「俗塵を避けて修行をする」というような意味で、どちらかといえば藍湛の剣名はこちらのニュアンスであろう。
ただし、前項「含光君」で引いた『老子』のエピソードや、「和光同塵」の語義も併せながら意味を考えたい。成語としての「和光同塵」は「光るものを持ちながら俗塵に染まることを良しとしてしまう人」のニュアンスがあり、この「俗人に染まることを良しとする」へのNOとしての「避塵」と読めるのだ。

参考
『晉書』王導傳
于時庾亮以望重地逼,出鎮於外。南蠻校尉陶稱間説亮當舉兵內向,或勸導密爲之防。導曰:「吾與元規休戚是同,悠悠之談,宜絶智者之口。則如君言,元規若來,吾便角巾還第,復何懼哉!」又與稱書,以爲庾公帝之元舅,宜善事之。於是讒間遂息。時亮雖居外鎮,而執朝廷之權,既據上流,擁強兵,趣向者多歸之。導內不能平,常遇西風塵起,舉扇自蔽,徐曰:「元規塵汙人。」

訓読
時に于いて、庾亮は以て望重くして地逼ひ,外に出鎮す。南蠻校尉陶稱はひそかに亮に説き、當に兵を舉げて內向せんとし、或いは導に勸めて密かに之を防がしめんとす。導曰く「吾と元規とは休戚是れ同じくす。悠悠の談、宜しく智者の口を絶やさんとす。則はち君の言ふごとく、元規若し來たらば、吾角巾を便して第に還る。復た何をか懼れんや」と。又た稱に書くに、以爲らく庾公は帝の元舅、宜しく之に善く事ふべし。是に於いて間かに讒すること遂に息む。時亮は外鎮に居ると雖も、朝廷の權を執り、既に上流に據る。強兵を擁し、趣向する者は多く之に歸す。導は內に平らぐ能はず。常に西風に遇ひて塵起こる、を扇舉げて自ら蔽ふ。徐ろに曰く「元規は人を塵汙せり」と。

日本語訳
その頃、庾亮は名望が高まって地方長官に赴任した。南蠻校尉の陶稱は、密かに庾亮へは挙兵して国内に攻め込めと言い、また王導にも密かに進言して、庾亮の挙兵を防衛させようとした。王導は言った「私と元規(庾亮の字)とは苦楽を共にする仲だ。ご立派なお言葉だが、きっとこの知恵者の口を塞いでしまう方が良い。もし貴方の言うように庾亮が攻めて来たら、私は隠者の頭巾を被って屋敷へ戻ろう。一体何を恐れるというのか」。またこうもしたためた「思うに、庾公は帝の母方の伯父なのだから、この人にしっかりと仕えた方が良い」と。こうして密かな讒言もとうとうなくなった。庾亮は地方にいるとはいえ、朝廷の権を左右し、すでに上流の貴族たちを拠り所としている。強兵を擁し、これにおもねる者も多く彼に帰順している。導はこれを平定することは出来なかった。いつも西から風が起こって塵が舞うのだが、これを見てゆっくりと「元規が人を汚すことだ」と言った。

語釈
西風 当時、庾亮と王導は建康の衛星都市である石頭城と冶城に赴任していた。おそらく「出鎮」は建康ではなく衛星都市に赴任するの意。庾亮のいる石頭城は冶城の西に位置していたため、西風で起こった塵を、石頭城にいる庾亮からのものになぞらえている。
参考:『古代東アジアの造瓦技術』所収 王志高「六朝建康城の主要発掘調査成果」

補足
「避塵」の語で表される故事といえばこのことだというが、藍湛の持つ剣の名の由来としてはしっくりこない。

 
Coming soon……
(以下工事中です。項目毎に完成する都度、見える形にしていく予定です。)

 
 

三、藍啓仁

啓仁

用例
『朱子語類』論語八 卷第二十六 論語八 里仁篇上 我未見好仁者章 p-17
問:「好仁即便會惡不仁,惡不仁便會好仁,今並言如何﹖」曰:「固是好仁能惡不仁。然有一般天資寬厚溫和底人,好仁之意較多,惡不仁之意較少;一般天資剛毅奮發底人,惡不仁之意較多,好仁之意較少。『好仁者,無以尚之。惡不仁,不使不仁者加乎其身』。這個便是好惡樣子。」問:「此處以成德而言,便是顏子『得一善拳拳服膺』,曾子『任重而道遠』與啟手足處,是這地位否﹖」曰:「然。」

訓読

日本語訳

 

 

四、藍願

願・苑

『漢辞海』
ゲン(漢)ガン(グワン)(呉)疑願去 yuàn
エン(ヱン)(漢)オン(ヲン)(呉)影願去 yuàn

補足

 

 

思追

参考
『漢語大詞典』追思
追念;回想。漢應劭《風俗通·正失·葉令祠》:“及其終也,葉人追思而立祠。”宋蘇軾《至眞州再和》詩之二:“流落千帆側,追思百尺巔。”淸葉名灃《橋西雜記·瞿稼軒論張江陵》:“故至今譚相才者,猶不能不追思之。”

日本語訳

 

 

四、藍景儀

景儀

参考
『漢語大詞典』儀景
指月亮。儀,通“娥”。娥,嫦娥。淸魏源《出都前夕夜步月下》詩:“儀景圓缺間,跡留影忽逝。”

日本語訳

『漢辞海』
【娥影】ガエイ ①月光。月影つきかげ。②鏡などに映る美人の姿。麗しい面影。〈高啓-詩・題美人対鏡図

 

 

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